延養亭(地図①)を見学して、栄唱の間で備中神楽を見た後
岡山後楽園のガイドさんに園内を案内してもらいました
延養亭の裏手にある花葉の池(かようのいけ)地図④と栄唱橋(えいしょうばし)
大立石(おおたていし)
元禄時代初期に巨岩を九十数個に割って運び元の形に組み上げたものです
十畳の大きさの大平石(おおひらいし)
南門からいったん後楽園を出て旭川を隔てた場所に建つ岡山城を眺めました
御舟入跡(おふないりあと)地図⑥
かつて岡山城から藩主が乗った舟を出迎えていた舟着場の跡
現在は階段(雁木・がんき)のみを残しています 平成23年、24年度の発掘調査で発見されました
廉池軒(れんちけん)地図⑦ 戦災を免れた貴重な建物のひとつです
園内に点在する亭舎の中で池田綱政が最も好んで利用していたものです
綱政は舟を降りた後この場所に来て朝食を食べたそうです
廉池軒へと続くこの橋は西側から見るとくの字に見えますが
東側から見ると直線に見えます
廉池軒からはひょうたん池や曲水の流れなど起伏に富んだ景観を眺めることが出来ます
唯心山(ゆいしんざん)地図⑧ ツツジの咲く頃は絶景だそうです
池田綱政の子、継政が作らせた約6mの築山でそれまで平面だった庭園に立体的な景観がプラスされました
北側の石組は緩やかな滝の流れを
東側の石組は急峻な滝の流れを表しています
流店(りゅうてん)地図⑨ 戦災を免れた建物のひとつです
藩主の庭周りの休憩所や賓客の接待などで使われました
中央に水路を通し中に美しい色の石を配した全国でも珍しい建物です
かつては障子や畳があり石も今の様な直線ではなく交互に並べてあったそうです
池田継政は2階から田植えの様子を眺めていたそうです
井田(せいでん)地図⑮
かつて園内に広がっていた田畑のなごりで中国周時代の田租法にならい幕末に形作られたものだそうです
手前の水のある所には2000年の時を経てよみがえった大賀ハスが6月~7月頃咲くそうです
千入の森(ちしおのもり)地図⑭ もみじが1000本近くあります
千入とは幾度も染めるという意味で築庭当時からこの名がついているそうです
慈眼堂(じげんどう)地図⑰
池田綱政が1697年に池田家と領民の繁栄を願って建立し観音像を祀りました 今は空堂となっています
境内には花崗岩を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩があります
五十三次腰掛茶屋付近から見た沢の池(地図⑱)唯心山、岡山城、廉池軒
馬場に続くもみじの森
鶴舎(地図⑲)
江戸時代から鶴が飼育されていましたが戦後絶滅したそうです
昭和30年、岡山で学んだ中国科学院院長の郭沫若氏から2羽のタンチョウが贈られ、
その後釧路市の協力を得て繁殖に成功、タンチョウ飼育数が全国一多い県となりました