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Channel: 旅写真日記 Part2
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一木一草

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メキシコ旅行記の途中ですが、ちょっと中断して5月3日から5日まで行ってきた旅行のお話です

自宅を9時半頃出て、一般道路を通ってまずは小国を目指しました

13時頃小国のそば街道にある「吾亦紅」に到着しました

吾亦紅セットを頂きました 温かいお蕎麦と冷たいお蕎麦が選べます

これは山菜そば セットには蕎麦がゆ、葛豆腐がつきます

冷たいお蕎麦のとろろそば

セットにはこちらの葛切りもついています

食後、この日宿泊する平山温泉を目指しました

途中、大観峰に行こうと思ったのですが、駐車場に入るのに渋滞していたので止めて

菊池へ向かう途中で阿蘇のカルデラを眺めました

少し霞んでいましたが阿蘇山から立ち上る噴煙も見えました

今回の旅の目的は温泉だったので途中何度か道の駅に寄っただけで観光はせずに目的に到着しました

平山温泉 「山懐の宿 一木一草」 部屋数8つの小さなお宿です

フロントはこんな感じです

カウンターの後ろにはステンドグラスがありました

ここが私達の部屋です

お部屋はこんな感じです

囲炉裏の間もありました

お部屋の天井は高くて明り取りの窓がありました

鴨居にはこんな方もいました

こんな透かし彫りのある扉を開けると

洗面所があり、左側にトイレ

右側にはお風呂があります 平山温泉は美人の湯と言われています 

100%源泉かけ流しです 奥の扉を開けると

小さいですが露天風呂もありました

大浴場は半露天になっていました

中にはこんなお風呂もありました

洞窟風呂もありました 真ん中の岩の後ろがすべて湯船になっています

夕食は部屋食です

左から時計回りで台の物の熊本産和牛の溶岩焼き、煮物の炊合せ(筍、しめじ、ふき、魚の卵、お麩)

先付の寄せめかぶ、酢の物の鯵の小袖巻き、お造りの五種盛り(マグロ、ハマチ、タイ、イカ、エビ)

椀物の蕨つみれ、食前酒の梅酒、前菜の合鴨八幡巻き、酢どり茗荷、煮蛤、ちまき、花いもトマト、そら豆

蒸し物の茶碗蒸し 

焼物は鰈の木の芽焼き

揚げ物替りのさつま揚げと豚バラの三色巻き

お腹いっぱいでしたがお肉は食べました 

ご飯は入りそうになかったのでおにぎりを作ってもらいました

おにぎりといえば、チェックアウト時に竹の皮につつんだものをお土産にいただきました 

デザートはブラマンジェでした

夜になると部屋の前にあるステンドグラスにも灯りが点って綺麗でした

朝食は食事処でいただきました

朝食はこんな感じでした

自慢の美味しいご飯がたくさん食べられるようなおかずがいっぱいでした

箸置きはこんな可愛い猫ちゃんでした


天草

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前回の旅行の続きです 次の日は宇土半島を目指しました

途中休憩した道の駅宇土マリーナから見た島原湾

明治三大築港の1つ三角西港に立ち寄りました

明治20年代に建てられた回船問屋 築港当時の面影を色濃く残す港湾施設として平成11年に修復されたそうです

1F土間にある電灯

2F押入れの襖の引手

石積みで作られた埠頭は建設当時のままだそうです

石積みの水路

明治20年頃に西港に誕生し小泉八雲も宿泊したホテル浦島屋

日露戦争直後に日本人宿泊施設として中国の大連に解体移築されたそうです

平成4年に数枚の写真を元に復元されたそうです

港からは天草五橋の1号橋「天門橋」が見えました

トラス構造の天門橋(全長502m)を渡り大矢野島に渡ります

その後、大矢野橋(2号橋)中の橋(3号橋)前島橋(4号橋)松島橋(5号橋)を通り天草上島に渡りました 

天草五橋のうち4つが一度に見えるという千巌山(標高162m)の展望台に登ってみました

整備された道で頂上近くまで行き、石の階段を10分くらい登ると眼下に上のような景色が広がります

千巌山は天草四郎が天草の乱出陣の際に山頂で宴を行ない、

杓子で酒を酌み交わしたと伝えられていることから昭和8年までは手杓子山と呼ばれていたそうです

違う角度で見てみようともう一つの展望台高舞登山(標高117m)にも登ってみました

こちらは道がかなり狭いですが、車を降りてすぐに展望台へ行けました

ここから見る夕陽は素晴らしく日本の夕陽百選に選ばれているそうです

その後、「天草ありあけタコ街道」と呼ばれている国道324号線を進みました

道の駅有明リップルランドでデコポンソフトと直径7cmの巨大たこ焼きビックリ焼き(塩味)

中にはタコステーキ、キャベツ、コーン、チーズ、おもちなど8種類の具が入っています

海岸にある巨大タコオブジェ「ありあけタコ入道」

タコ供養塔「祈りダコ」

この日の宿泊地は天草下島西エリアにある下田温泉でした

天草下島の西海岸を走る国道389号線は夕陽が美しいことから「サンセットライン」と呼ばれています

下田温泉から車で10分くらいでいける天草夕陽八景のひとつ十三仏公園まで行ってみました

十三仏公園からは国指定天然記念物および名勝の妙見浦が見渡せます

妙見岩と呼ばれている奇岩は海の中をゾウが歩いているように見えます

妙見浦から見た妙見岩(左側の岩)は全然形が違っていました

鬼界ヶ浦海岸

日本の夕陽百選にもなっている鬼界ヶ浦展望所で沈む夕陽を見ました 

展望所にはウッドデッキもあってたくさんの人が夕陽を見ていました

少し雲があったので残念ながら海に沈む夕陽は見ることが出来ませんでした(19時過ぎ)
 

19時から夕食だったので部屋に戻るとアサヒガニとタコの刺身、もずく、エビ、タコの塩辛が置いてありました

お刺身の舟盛り

鯛そうめん

天ぷら

豚しゃぶ

ご飯、天草の郷土料理「せんだご汁」、お漬物、デザート

朝食はこんな感じでした

伊勢海老の味噌汁

朝の天草灘

お天気が良かったので阿蘇に向かいやまなみハイウェイを通って家へ帰りました

 

次回からはまたメキシコのお話に戻ります

Uxmal①

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IMG.jpg

ウシュマルはユカタン半島のプウク地方にあり、7世紀から10世紀にかけて繁栄した古代都市です

ウシュマルという地名はコロンブス到達以前に「オシュ=マハアル」と発音されていた

古代マヤ語の名称で「三度に渡って建てられた町」という意味だそうです

入口を入るとすぐに木々の間から遺跡が見えてきます

古代都市ウシュマルは1996年に文化遺産として世界遺産登録されています

午前中に行ったカバー遺跡と同じで貴重な水を保存するためのChultúnと言う貯水槽がありました

最初に見えるのはウシュマルを代表する建造物「魔法使いのピラミッド」の東側部分 地図①

高さ35m(117フィート) 高いものでは131フィート(39m)低いものでは90.5フィート(27m)と諸説あるそうです

階段の途中にある穴は発掘の為に開けられたものだそうです

魔法使いの老婆が暖めた卵から生まれた小人が超自然的な力で

一夜にして造ったという伝説から「小人のピラミッド」とも言われています

実際には300年の間に5つの神殿を順番に造り上げたのだそうです 

他のマヤのピラミッドとは違い小判型の石を組み合わせた丸みを帯びた独特の形をしています

魔法使いのピラミッドの前には小鳥の矩形(地図②)があります

小鳥の矩形から見たピラミッドの西側部分

広場の真ん中には雨神である石棒(男性)が大地(女性)に突き刺さったものがあります

階段には雨の神チャックの像が連なっています

神殿Ⅳは全面に装飾を施し、神殿自体をチャック神に見立てているのだそうです

以前はこのピラミッドにも登れたそうですが現在は登頂禁止になっています

ウシュマル遺跡内ではイグアナをたくさん見かけました

小鳥の矩形の西側にあるマヤアーチとマヤの民家風に建てられた建物

建物の屋根の東側と南側にはマヤでは珍しい立体的な彫刻があります

彫刻はコンゴウインコで太陽の動きを表しているそうで上下左右を見ています

右上にある彫刻は口を開けている蛇だそうです

次は地図③の尼僧院へ向かいました  写真は北側建造物の東側部分

尼僧院の入口のマヤアーチは南側にあります

入口に入る前に振り返ってみるとピラミッドの神殿Ⅳとその上の神殿Ⅴがよく見えました

マヤアーチの壁には建設当時につけられた赤い手形が多数残っていました なぜあるかはわからないそうです

アーチを入ると広々とした中庭を囲んで4つの建物があります 写真は正面にある北側の建物

それぞれに小さな部屋が並び神官が住んでいたのではないかということで尼僧院と呼ばれていますが

実際には支配者の宮殿ではないかと言われているそうです

建物の階段の下にあるマヤ語が刻まれた石板 今のところ40%しか解読されていないそうです

建物の真ん中部分にある雨神チャークの彫刻

上の彫刻の東隣りには2つの頭をもつ蛇と尻尾を絡ませたジャガーの彫刻があります

一番東側にある彫刻

広場の東側にある建物は太陽が沈む西側を向いていることから死の寺院と呼ばれています

中央の入口の上にある雨神チャークの像

8匹の双頭の蛇とフクロウの頭部

マヤアーチのある南側の建物

建物の上にあるマヤの民家の上に雨神チャークが載っている彫刻

広場の西側にある建物は太陽が昇る東側を向いていることから誕生の寺院と呼ばれています

2匹いる羽毛を持つ蛇ククルカンの1匹の頭部ともう1匹の鈴のついた尻尾

その右側にあるのは頭部と胴体部分が別に作られた人物の彫刻

蛇の胴体部分

亀の甲羅(白い丸い石)に顔がついていることから亀男と言われている彫刻

建物の一番南側にある彫刻の蛇の頭は無くなっていました

雨神チャークの彫刻の眼は渦巻きになっていました

Uxmal②

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尼僧院を出ると目の前に見えてくるのが球戯場(地図④)

 

東側の建造物

観覧席の壁にあった装飾の一部が残っています

蛇の尻尾であったとかトウモロコシの穂だったとか言われています

壁に残っているボールを通す石のリング 蛇の体の部分が地面に並べられていました

2匹の蛇が絡み合っていたと言われています

西側の建造物

球戯場の西側の建造物の裏には競技者の宿泊施設の建物もあります

次に向かったのは総督の宮殿(地図⑦)

ウシュマルの中で一番美しいと言われている建造物です

正面は東側を向いていて昇りゆく太陽に照らされる造りになっています

長さ187m幅170m高さ12mの基壇の上に長さ98mの建造物が築かれています

3つの建物がマヤアーチで1つに繋がれています

北側の部分 

元々はマヤアーチの所は通路になっていて通ることが出来たのだそうですが現在は壁で塞がれています

南側の部分

真ん中の建物の中央部分

建物上部の壁面は全部で103個のチャーク像や雷の紋様などで飾られています 

7匹の双頭の蛇の真ん中には大きな羽飾りをつけた支配者の像があります

赤い線で記したように雨神チャークの像は蛇がうねっているみたいに下から上、上から下と連なっています

宮殿前の広場には尻尾を絡ませた双頭のジャガーの玉座があります

正面から見るとこんな顔をしています

基壇の上に上がってみました

北側に行くと尼僧院や魔法使いのピラミッドが見えました

たくさんいたイグアナの1匹ともーきちさんの2ショット

カメの家(地図⑥)

総督の宮殿の北西にある建物で雨乞いの儀式に使われていたと言われています

水をイメージさせるカメは雨をもたらす生物として祀られたのだそうです

総督の宮殿の西側を通って正面に見える大ピラミッド(地図⑧)へ向かいました

西側の装飾も綺麗でした

大ピラミッドは北面のみが修復されていて上まで登ることができます

カメの家の横から登るとほんの少しですが階段の段数を減らすことができます

高さ30mのピラミッドの上から見たウシュマル遺跡です

北西側にはジャングルが広がっていました

西の下を覗くとハトの家(地図⑨)が見えました

壁の一部だけが残っている建造物で総督の宮殿が出来る前に行政機関として使われていたと言われています

壁の上部に造られた格子窓がハト小屋のように見えることから名前がつけられました

ピラミッドの上にはコンゴウインコの寺院と呼ばれている建物があります

北東コーナーにある雨神チャークの像とコンゴウインコの彫刻

中央付近の装飾 水平方向に並んでいる骨がクロスしているみたいなのは蛇だそうです

1.jpg

神殿中央の部屋の中には雨神チャークの像が1つだけあります

北西コーナーの雨神チャークとコンゴウインコの彫刻

ピラミッドを下から見るとこんな感じです

 ピラミッドを下りてから

魔法使いのピラミッドの南側を通って

最後に真下からピラミッドを見て出口へ向かいました

Fiesta Americana Mérida Hotel

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ウシュマル遺跡を後にこの日の宿泊地メリダへ80kmの移動です

1時間半くらいでユカタン州の州都メリダへ到着

コロニアル様式の建物が並ぶモンテホ通りを進んで

コロン通りに入った所にあるFiesta Americana Mérida Hotelに18時頃着きました

ロビーに入ってまず目に入ったのは吹き抜けの天井にあるステンドグラスの窓

レセプションはこんな感じです

上から見たロビーの様子

エスカレーターを降りた所にはショッピングモールがありました

お部屋の中はこんな感じです

お部屋からはコロン通りにあるインターコンチネンタルホテルが見えました

ホテルのプール

夕食はユカタン地方の料理を食べさせてくれるホテルの中のレストラン「Los Almendros」で頂きました

レストランの壁

どこかで見たような方々が描かれていました

コロナビールと同じモデロ社が造ったレオンというダークビールを頂きました

Sopa de Lime(ライムスープ)

Cochinita Pibil(コチニータ・ピビル)

下味をつけた豚肉をバナナの葉で蒸し焼きにした料理

こちらのトルティージャにお肉を載せてタコスにするのが一般的な食べ方だそうです

デザートはFlan de Café(コーヒープリン)

朝食はCafé Montejo(カフェ・モンテホ)で

左からミルク、チョコレート飲料、メロンジュース、スイカジュース、オレンジジュース、

ハイビスカスティ、グレープフルーツジュース、緑のジュース(サボテンや緑の野菜を混ぜたジュース)

オリジナルジュース(ミックスジュース)とシリアル、ヨーグルト

チーズ、ハム、カステラでチーズを巻いたもの

ヨーグルトとフルーツコンポート

フルーツ

フルーツとゼリー

パン、マフィン、クッキーなど 写ってませんが食パンやフランスパン、シナモンロールもありました

温かいもの 左は豚肉とお野菜の煮込み 右は

トウモロコシの粉を練ったものの中にお肉が包まれていました

野菜とトルティージャ、お肉を煮込んだもの 

スクランブルエッグや揚げ物類、ライス

コチニータ・ピビルとコロッケ

ワカモーレやいろんな種類のサルサ

サルサ

トウモロコシチップス、ワッフル、パンケーキ

他にも一般的な卵料理やベーコン、ソーセージなどもありました

とにかく種類がとっても多かったです

Mérida

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 出発まで2時間くらいあったのでタクシーに乗ってメリダのソカロまで行ってみました

パリのシャンゼリゼ通りをモデルにつくられたモンテホ通りを南下しました

メリダのメインストリートであるモンテホ通りの両サイドには19世紀~20世紀に

「エネケン」(リュウゼツラン科の一種)からつくられた繊維で一儲けして建てられた宮殿がいくつか残っています

そのひとつQuinta Montes Molina -antes Villa Beatriz

1876年から1911年にかけてキューバの実業家により建てられたもので

現在は博物館になっていて結婚式などでも使われているそうです

Las Casas Cámara o Gemelas

新古典様式の邸宅が2つ並んで建っていて地元ではツインハウスと呼ばれているそうです

メリダの道路は碁盤目のようになっていて、偶数番号が南北、奇数番号が東西に走っています

モンテホ通りからCalle45を通り

Calle62を通って10分くらいでソカロに到着しました

1735年建造のメリダ市庁舎

プリンシパル(フランシスコ・カントン)公園を抜けて

カテドラルへ向かいました

1561年から1599年にかけてルネッサンス様式で建てられたカテドラル

ラテンアメリカで最初に建てられた大聖堂だそうです

スペイン王室の盾

サン・ペドロとサン・パブロの像が入口を守っています

中に入ってみました

天井のドーム部分

入口を入って見上げてみるとパイプオルガンがありました

正面から見たパイプオルガン

宝物庫に飾ってあったマリア様の衣装

見学しているうちにミサが始まりました

 El Cristo de las ampollas

ある村が火事になった際、黒焦げになりながら残ったキリスト像で「水ぶくれのキリスト」と呼ばれています

緑の建物は州庁舎

2Fにはマヤ文明をテーマとした27の壁画があるそうです

カテドラルの隣には現代美術館がありました

Casa de Montejo(1549年造)
 

メリダの街を建設したスペイン人入植者フランシスコ・デ・モンテーホの家でメリダ最古の建物だそうです

現在は銀行として使用されているそうです

正面入口上には征服者が先住民の頭を踏みつけている彫刻があります

 入口のすぐ上の彫刻

入口脇の彫刻

Mercado García Rejón(市場)に行ってみましたがまだ食事処しか開いていませんでした

一軒だけ開いていた民族衣装のお店でワンピースを買いました

お店の方はお店の写真はダメだと言ってたのですが、買い物が終わったら一緒に写ってくれました

メルカド付近から見たカテドラル

街の中は観光馬車で巡ることもできます

1時間くらい観光した後でタクシーに乗り、Calle60を通ってホテルに戻りました

1618年に建てられたIglesia de Jesús o de la Tercera Orden(ヘスス教会)

教会前のベンチでは観光客がまだ少ないのでお土産屋さんが休んでいました

Hotel&Bungalows Mayaland

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ホテル フィェスタ・アメリカーナ・メリダを10時頃出発して

今回の旅の目的である1年に2度起こる現象を見に出発しました

ペレス・ポンセ通りを東へ向かいます

この通りにも大邸宅が立ち並んでいました

国道180号線でカンクン方面へ向かいます

目的地までは120kmの道程です

1時間40分過ぎた頃にPistéという街を通りました

Pistéは人口5500人くらいの小さな街です 

チチェン・イッツァ遺跡まで2kmの位置にある街で、ホテルも何軒かあるそうです

 

教会

12時少し前にHotel&Bungalows Mayalandに到着

ホテルの壁にはこれから訪れる遺跡が描かれていました

ホテルのレストランでお昼を頂きました

カンクンからの日帰りツアーの人が着くまでには時間があるので人はまだ疎らでした

ちょうど到着した時に民族衣装を着た人達がダンスを披露していました

こんなダンスでした

食事はビュッフェ形式でした こちらはサラダバー

欧風の料理

 

手前にあるパンとソーセージ、キャベツを使ってホットドッグが作れるようになってました

マヤ風の料理

 

デザートのお米のプティングにココナッツをかけたもの

他にチュロス、アイスクリーム、パパイアなどの果物もありました

食事をしてる間にそばに来て踊ってくれました

食後、ホテルの中を少し見学しました

この廊下の左側は

こんな感じになっています

ロビー

階段が綺麗でした

ホテルの入口からはチチェン・イッツァ遺跡の天文台が見えていました

Chichén Itzá①

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IMG_0001.jpg

Chichén Itzá’(チチェン・イツァ)は6世紀頃から栄え始め10~11世紀に最盛期を迎えたマヤ低地北部最大の都市です

1988年に世界遺産に登録され、2007年には新世界の7不思議にも選ばれました

ホテルから近い場所から遺跡の見学を始めました

地図の真ん中にあるGate(マヤアーチ)のそばを通って

お土産屋さんが並ぶこんな道を通って

地図の左真ん中にある遺跡へ向かいました

「Templo de Xtoloc(シュトロック神殿)」

神殿の近くにはチチェン・イツァで2番目に大きい泉「Cenote de Xtoloc(シュトロックの泉)」があります

「Sacbé(白い道)」

「Plataforma de las Tumbas(お墓の台座)」

2つの穴は発掘された跡だそうです

上の写真の左側の穴 

別のお墓に土葬して骨になった後こちらのお墓に移されたと思われる骨が見つかったそうです

右側の穴

骨でできたナイフ、ビーズ、歯、矢尻なども見つかったそうです

「Plataforma de Venus(金星の台座)」

壁のレリーフに金星(左側にある流星のようなもの)があるので名前がついたそうです

顔が人間、体がケツァルコアトルのレリーフも彫られています

「Plataforma Redonda(丸い台座)」

「El Osario(Tumba del Gran Sacerdote)納骨堂(高僧の墓)」

四方に階段があるピラミッドで、全部の階段の脇に蛇の像が置かれています

チチェン・イッツァで一番有名なククルカン神殿と同じつくりです

たくさん並んだお土産屋さんの横を通って地図の左下の遺跡へ向かいました

「Casa Colorada(赤い家)」

基礎と赤い屋根飾りに赤い色が残っていたのでこの名前がつきました

隣接している球戯場は2009年に修復されたそうです

ホテルから見えていた「El Caracol(天文台)」

9mの基壇の上に高さ13mの天文台が建っています

中心部には螺旋階段が作られていてその形からカラコル(カタツムリ)と名がついたそうです

ドーム部は縦に細長い窓のつくられた厚い壁で構築されているそうです

窓からは金星や太陽の運行が確認できたそうです

農作物の収穫期なども太陽や星の位置で知ることができたそうです

天文台のドームにもチャーク像が飾られていました

「Conjunto de las Monjas(尼僧院)」

部屋数がたくさんあった為にその名前がついたそうです

尼僧院の東側の別院(右側)と「La Iglesia(教会)」

教会の右上には完全な形のチャーク像が残っていました

教会の東南側

東別院の東側

中央には大きな頭飾りをつけた人のレリーフがありました

その下には怪物の歯が6本と神聖文字がありました

東別院の壁のレリーフ

東別院の南側にあった建物

「Templo de los Tableros Esculpidos」(壁面彫刻の神殿)


Chichén Itzá②

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「El Castillo」別名「Templo de Kukulcán」

マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神)を祀ったピラミッドです(写真は南西側から見た所)

基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)(写真は北東側から見た所)

通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意味です

「ククルカンのピラミッド」「ククルカン神殿」とも呼ばれています

9段の階層からなり4面に各91段の階段が配され、最上段には真四角な神殿があります

ピラミッドの階段は4面の91段を合計すると364段で最上階の神殿の1段を足すと365段です

また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり

マヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表すことから「暦のピラミッド」とも呼ばれています

北面の階段の最下段にはククルカンの頭部の彫刻があります

ククルカン付近から上を見るとこんな感じです

カスティーヨの北側にある「Plataforma de Venus(金星の台座)」

Osarioのグループにあったものよりも少し大きくて彫刻もハッキリしていました

手前には風化したチャックモールがありました

完全なものはメキシコ・シティの国立人類学博物館に展示されていました

赤や青の色も少し残っていました

次はこんな道を300mくらい歩いて

「El Cenote Sagrado(聖なる泉)」へ

雨が降らない時や豊作を願う時、神の予言を聞くために財宝や生贄の人間が投げ込まれたと言われています

1882年と1968年に水を抜いて調査が行われ120体の人骨と金製品などの財宝が見つかったそうです

見つかったものはメキシコ・シティの国立人類学博物館に展示されていました

チャックモールと金製品などはこちらの記事でご覧いただけます

セノーテの南端には儀式に使われた建物も残っていました

「Plataforma de Aguilas y Jaguares(鷲とジャガーの台座)」 

ジャガーと鷲が人間の心臓を掴んで食べているレリーフがあり、生贄の儀式を行った場所ではないかと言われています

雨と雷の神トラロック(Tlaloc)の姿も彫られていました

近くにあったチャックモールは金星の台座の前のものよりもキレイでした

「El Tzompantli(ガイコツの壁)」

その名前の通り壁全面にドクロが彫られています

ドクロは敵を意味し人間を生贄にしていた証拠だと言われています

ドクロの壁から続いている壁には羽根のあるヘビが彫られていました

鱗のあるヘビや人間の心臓を持った鷲、生首を持った人も彫られていました

「El Juego de Pelota(球戯場)」 長さ168m、幅70mメソアメリカ最大の球戯場(写真は東側の壁)

競技者はヒジや尻、ヒザを使ってゴムのボールを飛ばし、石の輪に通すことで勝敗を競いました 

西側の壁

「Templo del Norte(北の神殿)」

球戯場の南北には観覧席でもある神殿があります

神殿と神殿の間は音が通りやすい造りになっていて手を叩くと音が響いていました

球戯場の四方には獰猛な顔つきのヘビが配されています

球戯場の壁一面に生け贄の神官が首をはねられているレリーフが刻まれています

吹き出した血は6匹のヘビとして表現されています

球戯場の東壁には「Templo de los Jaguares(ジャガーの神殿)」があります

壁面には球戯のボールやジャガーが彫られています

東側の正面にはジャガーの形をした玉座がありました

柱に刻まれたレリーフ 

神殿内部のレリーフ 赤い色が残っていました

ククルカンの降臨

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El Castilloに戻って来ました

この写真を撮ったのは15時頃でまだ現象は起きていません

「Templo de los Guerreros(戦士の神殿)」と「Grupo de las 1000 columnas(千本柱の間)」

戦士の神殿は千本柱のの間と呼ばれる多柱回廊の背後に聳えてる3層基壇の神殿です

階段の上部には腹部に生け贄の心臓を置いたと言われているチャックモール像があります

神殿の左側の壁です

左角と右側に三連のチャーク像があり、その間に鳥の彫刻が施された壁から

蛇の彫刻が頭を出し、蛇の口からは人間の顔が出ています 右の壁も同じつくりです

階段の手摺上部には蛇の頭があり、その上には旗持ちの兵士の像があります

戦士の神殿の足元まで行って、千本柱の列を見てみました

神殿の下の柱は角柱に彫刻が施してありますが右側の方の柱は円柱のみでした

柱の四面には戦士や捕虜が彫られています

「Templo de las Grandes Mesas(大きなテーブルの神殿)」

戦士の神殿の北隣にある神殿

上の神殿の前にある広場には保護用の屋根のついた壁がありジャガーの彫刻がありました

その中に彩色されたジャガーもありました

ククルカン神殿の北東側はすっかり影になっていました

そろそろ人が集まりだしてきたのでククルカン神殿の西側へ移動しました

春分の日と秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされます

その為、北側階段の西側面に羽根のような影ができ、それが階段下の蛇の頭につながります

その現象が「ククルカンの降臨」と呼ばれています

写真は15:49頃、蛇の尻尾が少し現れています

15:53頃です 少しずつ胴体が現れてきました

16:06頃です 胴体がかなり細くなってきましたが、まだ頭部とは繋がっていません

16:16頃です

後ろを振り返って見るといつの間にかたくさんの人が集まっていました

16:25頃です

16:32頃です

16:38頃です やっと頭部に繋がりました

16:44頃です だんだん胴体が細くなってきました

16:49頃です

16:52頃です そろそろ一番上の方がなくなってきました

この辺まで見たところで残念ながら出発の時間になってしまいました

出口に向かっていた17:03頃歓声があがったので走って戻ってみるとこんな形になっていました

ずっと一番真ん前で見ていたので少し後ろから見ると全然雰囲気が違っていました

少し前の方に進みながら最後に撮った写真です

この日は2012年3月22日で春分の日の2日後でした

ガイドブック等には春分の日と秋分の日と書いてありますが

現地のガイドさんの話では3月21日と9月22日だということです

その日だけでなく前後1週間見ることが可能だそうです

秋よりも春の方が晴天の確率が高いとも言ってました

慌ただしく出発したのは大量のバスが出発するので大渋滞が起きるということと

この日の宿泊地のカンクンまでは3時間前後の時間がかかるからでした

17時半頃チチェン・イッツァを出発してカンクンに向かいました

途中真っ暗な道を進むので星がとっても美しかったです(お見せできないのが残念です)

渋滞に合うこともなく20時過ぎにカンクンに着きました(写真はククルカンプラザ付近)

カンクンでの宿泊はハイアット・リージェンシーでした(写真はロビーから見た吹き抜け部分)

お部屋はこんな感じでした

時間が遅かったので夕食はルームサービスで頼みました

ピザ・マルゲリータとストロベリーアイス

クラブハウスサンドイッチとシーフードカクテルとバニラアイス

パンではなくトウモロコシチップスがついてました


 
おまけ

IMG_1251.JPG

2012年3月20日(春分の日)のククルカンの降臨です

ウシュマル遺跡で再会した6年前グアテマラ旅行でガイドをしてくださった方から送ってもらいました

Cancún

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メキシコ最後の滞在地はカリブ海にあるリゾートCancún(カンクン)

マヤ語で「カン」はヘビ、「クン」は巣と言う意味です

写真はホテルの部屋から見た朝日です

ホテルは真ん中が巨大な吹き抜けになっています

部屋のある6階から下を覗いてみました

まずは朝食をこんな景色を見ながら食べました

ビーチから見たホテルです 朝日を見たのは右側の窓からです

お部屋から見たカリブ海です

こちらはお隣のホテル ドリームズ・カンクン

近くにあるショッピングセンター「フォーラム・バイ・ザ・シー」に行ってみました

まだ午前中だからかシーズンオフだからか人は疎らでした

人気のクラブ「ココ・ボンゴ」前にあった巨大なスパイダーマン

2時間くらいお買物をしたりスタバでメールをチェックしたりした後ビーチを歩いてみました

この白いビーチが10km以上続いているそうです

ホテルまで500mくらい歩きました

外出している間にコネクティングルームに変更してもらいました

窓から見ると宣伝用の幕を引いた軽飛行機が飛んでました

お昼はシーフードレストラン「モカンボ」へ 

外から見たお店はこんな感じです

お店に着いたのは14時頃でしたがまだお客さんがたくさんいました

飲み物のいちごとマンゴーのスムージーと共にサルサとトウモロコシチップスが出てきました

こんな景色を見ながらお食事ができます

食べたのは牡蠣のほうれん草チーズ焼き

海老のココナッツフライ

ロブスターのガーリック炒め

 レストラン前のビーチも綺麗でした

ホテルの戻って15時頃少し日が陰ってきたので海に入ってみました

水は生温かったです

遠浅になっているのでかなり沖まで行っても大丈夫でした

新しいお部屋からはこんな景色が見えました(17時半頃です)

18時頃の夕陽です

18時40分頃の夜景です

同じ時間帯に見たプール

メキシコ最後の夕食は日本食レストラン「花いち」で頂きました

飲み物は「クバーナ」と言うものでレモン汁とサルサを入れたものにビールを混ぜて飲みます

コップの口の周りについている白いものは塩です

ちょっとピリ辛なビールでした

前菜 左から時計回りにウチワサボテンの佃煮、キュウリの酢の物、イカ、カラコル貝

お刺身(マグロ、サーモン、タコ)

鮭と海老のゆず味噌蒸し

天麩羅(海老、海苔、枝豆、人参、ズッキーニ)

冷製茶碗蒸し 

お寿司とお吸い物 

デザートは洋なしのコンポート

旅の終わりはいつも・・・

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メキシコ最後の朝です(5時半頃です)

朝食後、ビーチに出てみました

まだ泳いでいる人はいませんでしたが、ビーチを走っている人をたくさん見かけました

夜のディナー様に飾り付けられたテーブルもありました

カリブ海ともお別れなので裸足で波打ち際を少し歩きました

もーきちさんのようにのんびりと寝そべってあと何日か過ごしたかったです

部屋に戻って海を見るとこんな色になっていました(8時半頃です)

旅の仕上げにSpaへ 朝9時と早かったのでまだ美容室にも人はいませんでした

この奥の部屋で80分ロミロミとリンパマッサージをしてもらいました

希望すればこんな場所でも施術してくれます

私達がSpaにいる間もーきちさんはこんな場所や

こんな場所でのんびりと過ごしていたみたいです(笑)

チェックアウトの前にもう一度ベランダからカリブ海を見ました

12時少し前でしたがこの時間帯が一番海の色が綺麗に見えるような気がしました

プールもキラキラ輝いて綺麗でした

ホテルから20分くらいでカンクン国際空港に到着

搭乗までまだ時間があったのでロールチキンと

クロワッサンサンドをお昼ごはんとして食べました

14:39発のAM0428便でメキシコ・シティへ向かいます

搭乗機ではありませんがアエロメヒコ機

アメリカのエア・トラン航空機とカナダのエア・トランザット機

予定より少し遅れて15時頃カンクンを飛び立ちました

メキシコ・シティまでは2時間半の飛行です

こんな景色や

こんな景色を見ながら進みました

17時半ごろメキシコ・シティに到着

買い物をしたり軽く食事をしたりして時間を潰しました

メキシコ・シティからは21:50発のAM0058便で成田へ向かいます

帰りは行きよりも時間がかかり17時間半(予定)の飛行時間です

出発後1時間半くらいで食事が出てきました 牛肉のソテーか

鶏ごはんのチョイスでした

夜中1時過ぎくらいにティファナに到着(メキシコ時間では3時)、機内待機でしたが予定よりも長く2時間駐機してました

待機中にカップヌードルやサンドイッチが配られました

日本時間0時半頃(メキシコ時間朝9時半頃)軽食が出ました

途中で無くなったのかサンドイッチの種類が変わってました

5時半過ぎに朝食が出てきました オムライスか

メキシコ風クレープのチョイスでした

6時半過ぎ成田に到着、今回の旅も無事に終わりました

長い間お付き合い頂きましたメキシコ旅行もやっとおしまいです

次回からは2012年7月に行ったブルガリアとルーマニアのお話です

ブルガリアってどんな国?

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2012年7月ブルガリアに行ってきました

旅の前にみんなに聞かれたのが「ヨーグルトを食べに行くの?」という言葉でした

ブルガリアと言えばやはりヨーグルトが一番最初に頭に浮かびますよね^^

もちろんヨーグルトもとても美味しかったです♪

短い旅でしたがヨーグルトだけではないブルガリアの魅力をご紹介できればと思います

ブルガリア共和国(正式名称はРепублика България)

通称ブルガリアはバルカン半島に位置する共和制国家です

北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア、南にギリシア、トルコと隣接し東は黒海に面しています

首都はソフィア(София)です

現在の国旗は1989年に制定されたもので「白は平和、緑は豊かな大地、赤は勇気」を表しているそうです

ブルガリアまでの直行便は出てないので成田発11:15のオーストリア航空0052便での旅立ちです

機内には10:35くらいに入ったのですが成田を出発したのは12時前でした

出発してすぐ九十九里浜が綺麗に見えました

離陸後30分くらい経った頃スナックと飲み物が配られました

13時頃、1回めの機内食が出ました 豚の生姜焼きか

チキンのカレー風味のチョイスでした

成田を出発して2時間後、緑の大地が見えて来ました

こんなクネクネの川や(成田から2時間半くらい)

砂州のある大きな川を見ながら進みました(成田から5時間半くらい)

その後45分くらい飛ぶとこんな景色が見えて来ました

成田から9時間半くらい飛んでこんな景色が見えてきた頃

2回めの機内食です ポテトとマッシュルーム、リーキのグラタン

ウィーン時間16時頃(日本時間23時頃)そろそろ目的地に到着です

ウィーンと日本の時差は7時間です

16:16ウィーン国際空港に到着(予定よりも16分遅れでした)

ナショナルフラッグ オーストリア航空の様々な飛行機

17:25発のSofia行きに乗り換えます

座席数100席のFokker100という機種に乗りました

17:40ウィーンを離陸してソフィアに向かいました

高度が低いので景色がよく見えました

ドナウ川かな?

18時頃(日本時間夜中の1時頃)サンドイッチが出ました 中身はマスタードでした

ウィーンから1時間10分くらいでこんな景色が見えてきた頃、高度が下がって来ました

旋回して

20:05(ウィーン時間19:05)ソフィア空港に到着

ソフィアと日本の時差は6時間です

コンコースを通って 

到着ロビーへ

降りる人も少なかったので入国手続きも荷物の受取りも早く済んで19時半頃には空港をでました

空港から10分くらいで

やっと宿泊のホテルHoliday Inn Sofiaに到着です

日本を出てから14時間くらいかかりました

お部屋はこんな感じです

バスルーム

シャワーブースもありました

ちょっと小腹が空いたのでウィーンで買ったアプフェル・シュトゥルーデルを食べてお風呂に入って23時頃寝ました

ロビーはこんな感じです この奥にレストランがあります

夕食を食べずに寝たので朝食はレストランが開いた7時に食べに行きました 

ジュース(グレープフルーツとオレンジ) 果物 シリアル類

ハム、チーズ、サーモンなど冷たいもの

ソーセージ、ベーコン、ベイクドビーンズなど 卵料理はその場で作ってくれます

София(ソフィア)市内観光

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ソフィアはヨーロッパ最古の都市の一つで、平均標高550m、全方位を山に囲まれたソフィア渓谷の中にあります

ホテルのある市の南側から中心部まで住宅地を通って移動しました

ソフィア最大の公園 ボリス公園のオベリスクが見えました

ソフィア大学聖クリメント・オフリドスキ

1888年に創設されたブルガリアで最大、最古の大学だそうです

1886年に建設された国会議事堂

国会議事堂広場にあるロシア皇帝アレクサンドル2世(1818~1881)の像

露土戦争の勝利によりブルガリアをオスマン朝支配から解放した英雄なのだそうです

ブルガリア国立銀行本店 

1879年1月25日に設置され世界で最も古い中央銀行の一つだそうです

現在の建物は1934年から1939年にかけて新古典主義建築で建てられたそうです

銀行の建物の角に聖ニコラウスの像が飾られていました

ソフィアはローマに征服された紀元29年まではトラキア人の集落でありセルディカと呼ばれていたそうです

市内にはセルディカ時代の城壁の一部があちらこちらに残されているそうです

トドール・アレクサンドル通りでバスを下り地下道へ向かいました

地下道は明るくて綺麗でした

地下鉄セルディカ駅の入口

地下道を抜けた先にある聖ペトカ地下教会

オスマン朝治世下の14世紀に建てられたもので建物の半分は地面を掘った穴の中にあります

11世紀の聖人ペトカにに捧げられたものだそうです

16世紀に建てられたイスラム教のバーニャ・バシ・ジャーミヤ

手前ではセルディカ時代の遺跡の発掘調査が行われていました

旧レーニン広場にある聖ソフィアの像(高さ21m)

ブルガリアの彫刻家George Chapkanovの設計で2000年に造られたそうです

右手には月桂樹を持ち左手には知恵の象徴フクロウが乗っています

聖ネデリャ教会

10世紀に建築された教会で19世紀半ばまでは木造だったそうです

1856年、より大きくするために木造教会は取り壊され新教会の建設が始まりました

1858年の地震により工事は遅れましたが1867年に完成したそうです

1925年暗殺された将軍の葬儀に出席した国王を狙ったテロ事件が起きたそうです

テロの首謀者ブルガリア共産党により教会の屋根裏、主ドームを支える柱に爆弾がしかけられ

その爆発により聖堂が倒壊、150人の死者、500人の負傷者がでたそうです

事件後、聖堂は再建され現在の姿になったそうです

聖デネリャ教会の前から入った道を通って

脇道に入ると見えてきたのは聖ゲオルギ聖堂

紀元4世紀に建てられた初期キリスト教の建物だったそうです

現在の建物は10世紀に再建されたものでソフィア最古の建物と言われています

シェラトン・ソフィア・ホテルの建物に囲まれた場所に建っています

聖堂の前にあるのは4世紀のローマ時代の遺跡だそうです

大統領官邸

官邸入口には微動だにしない衛兵さんが立っています

記念撮影はOKだそうですが2m以内に近づいてはいけないそうです

国立考古学博物館

1474年に建てられたオスマン帝国時代の最大、最古のモスクを使用しているそうです

旧共産党本部 

閣僚評議会会議所(内閣の会議が行われる場所)

上の写真の左側を見ると先ほど見てきた女神ソフィアの像がありました

旧王宮 現在は国立アートギャラリー

アートギャラリー前のバッテンベルク広場にあったGreat Wallという中国メーカーがブルガリアで作っている車

(ブルガリアのガイドさんはブルガリア初の国産車と言ってました)

奇蹟者聖ニコライ聖堂(通称ロシア教会)

1914年にロシア皇帝で後に聖人に列せられたニコライ2世に捧げられたものだそうです

Храм-паметник Свети Александър Невски&Боянска църква

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東ローマ帝国時代だった6世紀に皇帝ユスティニアヌス1世により建てられた聖ソフィア教会

ブルガリア国内で2番めに古い教会とされ首都ソフィアの名前はこの教会に由来するそうです

内部は撮影禁止の為、ブルガリア観光協会からお写真をお借りして来ました

オスマン帝国時代にはイスラム寺院として使用され、2度の地震で被害を受けましたが

20世紀になって修復が始められ現在の姿となったそうです

教会の横には無名戦士の記念碑があり永遠の火が燃えていました

彫刻家Андрей Николов(1878-1959)制作のライオン像

Храм-паметник Свети Александър Невски(アレクサンドル・ネフスキー大聖堂)

ネオ・ビザンチン様式で建てられた聖堂はブルガリア総主教の本拠地であり

世界最大級の正教会の聖堂でソフィアのシンボルになっています

元々は露土解放戦争で戦死した戦士を慰霊するために建設されのちに総主教となったそうです

1904年に建設が始まり1912年に完成したそうです

内部は撮影禁止の為、ブルガリア観光協会から写真をお借りしました

建物内部は3170平方メートルの広さで5000人を収容できるそうです

ブルガリア人、チェコ人、ロシア人などの芸術家に描かれた82のイコンや壁画があるそうです

国王の王座と総主教座

イタリアの大理石、ブラジルの縞瑪瑙やアラバスターが使用されているそうです

ドームの屋根は金メッキが施され、鐘楼の高さは53m、最大12トン、最小10キロの様々な重さを持つ

12個の鐘が据え付けられていて、鐘の音は直径15キロの範囲で聞こえるそうです

外壁のモザイク画

 

市内観光を追え、郊外に向かいました

この日は平日でしたが、夏休みに入っている人が多いため市内は渋滞していませんでした

市内にはトラムも走っています

市内から8kmにある1979年に世界遺産に登録されたБоянска църква(ボヤナ教会)

 こんな森の中にある教会です

ブルガリア正教会の教会堂です 建物は3つの時代に渡り建てられています

最初に東翼(一番右側)が10世紀後半ないし11世紀の初頭に建てられ、13世紀に中央棟が加えられたそうです

その後西翼が加えられ現在の形が出来たのは19世紀半ばだそうです

教会の横にはブルガリア王妃Елеонора фон Ройс-Кьостриц(エレオノーラ)のお墓がありました 

1977年から保全と修復を理由に一般の立ち入りが禁止されていましたが2000年に解除されたそうです

一度に内部に入れるのは8人まで中に滞在できるのは10分までと厳しい制限があります

前の人が出てくるまで森林浴をして待っているもーきちさん

こんなドアから中に入ります

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内部は写真撮影禁止でしたのでガイドブックの写真をお借りしました

内部の壁面は1259年に描かれたフレスコ画でうめつくされています

240人の人物と89の場面が描かれているそうです

写真はガイドブックからお借りしたもので中央棟から西翼へでるドアの周りに描かれたフレスコ画です

こちらはブルガリア観光協会からお借りしたものです

上のドアを入ると中は写真の様にとても狭かったです

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こちらから下はガイドブックからお借りしたものです

東翼の南壁のフレスコ画です

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こちらは東翼の北東壁のフレスコ画

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東翼の北壁に描かれた最後の晩餐

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中央棟の南壁に描かれたキリスト

他のフレスコ画など教会の内部はこちらでご覧になれます


 

お知らせ

明日から夏の旅行に出かけてきます

今回の旅先はリゾートというと必ず最初に思い浮かぶ場所です^^;

しばらくの間、皆様のブログへのご訪問とコメントへのお返事が出来ないことお許し下さい。

無料のWi-Fiスポットを見つけてあちらからも記事をUPしたいと思っています。

miffy


今、ここにいます

今年の夏休み

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今年の夏の旅行は従弟一家と一緒にハワイ島とホノルルに行ってきました

海外旅行が初めてな従弟の子供達(小3と幼稚園の年長)に合わせた旅でした

ハワイ島ではみんなで島を一周しました

年齢制限がある4000m級の山には私達だけで登りました

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ホノルルに移動した後、子供達は海とプールが良いというので私達だけでダイヤモンドヘッドに登りました

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従弟一家が帰った後、ホノルル在住のブログのお友達popokiさんとオアフ島を一周しました 

最後にはお約束のこの方にも会ってきました

のんびりしたような慌ただしいような旅でした

かなり先になると思いますが詳細はまたご報告しますね


 
いただきもの

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popokiさんからハワイらしいものをたくさん頂きました

今回popokiさんとは初対面だったのですが、初めてとは思えないくらいに話が盛り上がりました

お忙しい中、同居人さんとご一緒に島の案内までして頂きましてありがとうございましたm(__)m

また、お目にかかれる日を楽しみにしています♪

popokiさんのso-netのブログ「milimili popoki猫とハワイで極楽気分」はこちらです

もうひとつハワイの雑誌ラニラニに投稿しているブログ「POPOKIのハワイこまものブログ」はこちらです

どちらもpopokiさんの視点から見たハワイの様々なものが紹介されています

ハワイ好きの方、ハワイへ行く予定のある方ぜひ御覧ください

Кочериново

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前回ご紹介したボヤナ教会はヴィトシャ山の麓にあります

ヴィトシャ山は夏はハイキング、冬はスキーとソフィア市民の憩いの場になっているそうです

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E79号線を南へ進みました

ブルガリアは国土の40%が200m~600mの丘陵地帯にあるそうです

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しばらく行くと少し開けた場所にでました

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放牧されている牛や馬もいました

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高速道路(A3号線)でさらに南下します

ブルガリアの高速道路は有料ですが料金所がありませんでした

料金は前払いで済ませ支払い済のシールをフロントガラスに貼るのだそうです

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こんな景色が見えた頃、マックカフェでトイレ休憩

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この日のお昼ごはんは少し遅くなるそうなのでアップルパイを買って食べました

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 この道路はギリシアまで続いてるそうです

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小麦畑や

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ひまわり畑を見ながら進みました

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ブルガリアの食用油はひまわり油が多いそうで、たくさんのひまわり畑を見ました

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またE79号線を通ります 

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 高速道路はまだ拡張中だそうであちらこちらで工事をしていました

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トウモロコシ畑

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サクランボの木

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農業用の大きな貯水池もたくさんあるそうです

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Дупница(ドゥプニツァ)と言う街(ソフィアから南に65km)を通りました

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線路と並行して走っている時に列車と行き交いました

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遠くにリラ山脈が見えてきました

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この像が見えた所で107号線に入ります

リラの修道院をを創建したリラの聖イオアン(イヴァン・リルスキ)の像です

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ソフィアから100kmの所にある人口2500人くらいの小さな街Кочериново(コチェリノヴォ)

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この街はコウノトリが子育てをする事で有名な街だそうです

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街の中心である広場の周りにある巣には親鳥の姿はなく幼鳥だけがいました

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3月になるとアフリカからコウノトリが渡ってくるそうです

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 3月、4月に訪れるとクチバシを叩き合わせるように激しく開閉して音をだす「クラッタリング」が聞こえるそうです

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6月、7月の間は巣の中に幼鳥を見ることができるそうです

8月には北アフリカへと飛んでいってしまうそうです

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この辺りは養蜂が盛んだそうで道端で蜂蜜を売っていました

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お昼は14時頃にРила(リラ)の街にあるホテルГОРСКИ КЪТ(GORSKI KAT)で頂きました

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飲み物はアイリャン(ヨーグルトドリンク)

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ショプスカサラダ(白チーズのかかったブルガリアの代表的なサラダ)

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メインはマスのグリル、付け合せはポテト

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デザートはパラチンカ(パンケーキ)でした

Рилски манастир

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食後訪れたのは今回の旅で一番行きたいと思っていたРилски манастир(リラの修道院)

リラの修道院はブルガリアで最大のブルガリア正教会の修道院です

首都ソフィアから南に117km、海抜1147mの高さにあります

伝承によると修道院は10世紀にイヴァン・リルスキが設立したと考えられています

創設以来、ブルガリアの統治者から後援され尊重されてきたのだそうです

14世紀にフレリョ・ドラゴヴォラにより現在の位置に再建されたのだそうです(写真は絵はがきのものです)

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西側にあるДупнишката порта(ドプニツァ門)から中に入ります

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中に入るとすぐに修道院のメイン教会の聖母誕生教会が見えてきます

現在の建物は1833年の大火後に国民の援助を受けて1835年に着工され1862年に完成したものだそうです

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外壁の縞模様は壁面に描かれたものだそうです

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かつては300人の修道士が暮らしていましたが現在は数人の聖職者だけが住んでいるそうです

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北側から回廊に入ります

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教会の回廊の天井、壁には聖書と聖人を題材にしたフレスコ画が描かれています

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「アダムとイブ」

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「最古の日」

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「終末」

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「金持ちと貧しいラザロのたとえ」

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「聖ミカエルと金持ち」

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地獄 

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回廊の中にいた猫ちゃん

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回廊にあった噴水

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教会内部は撮影禁止でした(これは絵はがきです)

内部は金箔の施されたイコノスタシスで飾られていました

聖イヴァン・リルスキの聖遺物もあります

ちょうど信者の方が見学していたのでチラッと覗くことができました

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聖母教会の隣には火事で焼け残ったフレリョの塔が聳えています

1334年から1335年に建設された修道院で最も古い建物だそうです

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高さ24mの5階建ての塔で地下には乾くことのない井戸が最上階には小さな礼拝堂があるそうです

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鐘吊り場は1844年に増築されたものだそうです

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4階建ての住居部分には300の部屋があり4つの聖堂、大修道院室、台所、図書館、寄贈者室があるそうです 

1816年に建てられた北側の棟 修道院の調理場があるそうです

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図書室のある南側の棟

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東側にあるСамоковската порта(サモコフ門)

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修道院の東側にはホテルやレストラン、修道院のパン屋さんがあります

山羊のチーズが有名だと言うので買いました(写真撮り忘れました^^;)

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もうひとつガイドさんお勧めの揚げたてのドーナツ(半分食べちゃってますが・・・)

好きなソースをかけてもらえます(ラズベリーソースをかけてもらいました)

 

ブルガリア第二の都市へ

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リラの修道院の見学の後、この日宿泊する都市へと170kmの移動です

修道院へ来た時と同じ道を戻ります(写真はミツバチの巣箱)

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コウノトリのいる町コチェリノヴォを通り過ぎE79号線(1号線)を通ってドゥプニツァへ

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その後62号線で東へ向かいました

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 片道1車線のガタガタ道を進みました

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1時間半くらいでサモコフという町(ソフィアから55km)を通りました

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 中世には鉄の産地として有名だった町で現在はウインターリゾートになっているそうです

ブルガリアの小さな街の風景を御覧ください(*注意 音がでます*)

ガタガタ道でしたのでかなりブレが激しいです

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山道を抜けて、出発してから3時間くらい経った頃(19時頃)高速道路(A1号線)にのりました

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 高速道路に入ってからは道も綺麗になりスムーズに進みました

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 とうもろこし畑や

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 牧草地を見ながら進みました

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 家に帰るヤギの群れ

 20時前頃、пловдив(プロヴィデフ)に着きました 街の様子を動画でご覧ください(*注意 音がでます*)

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この日の宿泊はホテル ノボテルプロヴィデフでした

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入口を入ると長い廊下が続いていました

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入口側はこんな感じでした(次の日の朝撮影)

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レセプション

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ロビーにあった像

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お部屋の中はこんな感じでした

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夕食はホテルのレストランでいただきました

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地ビールがあったので飲みました

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サラダ(キュウリ、トマト、キュウリとヨーグルトを混ぜたもの)

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ふかふかのパン

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メインは仔牛肉の煮込み

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デザートはポピーシードの入ったアイスパルフェ

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お部屋からはこんな景色が見えてました(朝撮影)

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ホテルにはプールや

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ボウリング場もありました

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ホテルから見えたマリツァ川の辺りを少し散歩しました

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上の写真の右端に見える橋の中はショッピングゾーンになっていました

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朝食はいろんな種類のチーズや

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ハム類

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キュウリとトマトなどの生野菜もありました

 写真に撮ってませんでしたが温かいお料理もありました

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パンはこんなケースに入ってました

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パウンドケーキやマフィンもありました

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