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Channel: 旅写真日記 Part2
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Петерго́ф②

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11月18日の記事の続きです

公園内にはまだまだ噴水がたくさんあります 写真は「水の道」という噴水

森を抜けると大きな広場に出ました

ドラゴンの滝(チェスの山)

滝の両側には10体の大理石像の彫像が立っています 

歩いて来た道を振り向いてみると「水の道」にたくさんの人が集まっていました

「水の道」では1日3回水のショーが行われます 皆さん期待して待っていました

水の勢いはみんなが思っていたよりも強かったみたいで、逃げていく人もいました 

立っている場所でびしょ濡れの人と全然濡れない人がいるみたいでした

水の道の様子を動画でもどうぞ(56秒) *注意 音がでます*

ローマの噴水

ローマにある聖ペテロ寺院前の噴水のコピーだそうです

温室(植物園)

辺りはバラの甘い香りが漂っていました

温室の噴水

4匹の亀は東西南北のシンボルだそうです 

噴水の真ん中には海の怪物の口を引き裂くトリトンの像があります

18世紀初頭の北方戦争での対スウェーデンのロシア勝利を寓意化しているそうです

公園をグルッと回ってグランドカスケードまで戻って来ました

真ん中にある噴水はフランスの噴水

陽の光を浴びた彫像がキラキラ光っていました

 

左端の像は「ペルセウス」 1801年シェリドン作

上の庭園は大宮殿の南に広がっています

上の庭園の噴水

綺麗に刈り込まれた並木が続いていました

王家の紋章を頂く館

上の庭園と大宮殿

ペテルゴフを後にサンクトペテルブルクへ戻ります

途中にあるコンスタンティン宮殿

2006年この場所でサミットが行われました

サンクトペテルブルクに戻って来ました 町中の公園では日光浴をしている人がたくさんいました

マルスの広場付近から見た血の上の救世主教会

ネヴァ川に係留されている巡洋艦オーロラ(アヴローラ)号

1900年に進水した防護巡洋艦 

1917年10月革命でオーロラ号の合図で兵士、水兵、赤軍派が武器を手に取り冬宮に突入したそうです

サンクトペルブルク最後の夕食はフォンタンカ運河沿いのお店でいただきました

レストランCHAJKOVSKIJ(チャイコフスキー)店内の様子

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ハムとチーズのサラダ(左上) キエフ風チキンカツ(右上)

チキンカツを切ると中からバターが出てきます(左下) アップルパイ(右下)


Исаакиевский собор

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サンクトペテルブルクを出発する前にИсаакиевский собор(聖イサク大聖堂)の展望台に上りに行きました


 
聖堂の南側のドア 展望台の入り口は南側(イサク広場側)にあります
 
 
螺旋階段を200段上ります

 
階段を上りきった所ではこんな景色が見えました
 
 
その後こんな階段を上ります
 
 
上ってきた階段を見るとこんな感じです
 
 
聖イサク広場方面  使徒マタイ(天使といる像)と使徒フィリップ(十字架を持っている像)
 
 
ニコライ1世の馬上像
 
 
エルミタージュ美術館方面
 
 
ペトロパヴロフスク聖堂と旧海軍省
 
 
エルミタージュ美術館
 
 
宮殿広場 
 
 
血の上の救世主教会方面
 
 
アップにしてみました
 
 
カザン聖堂 
 
 
デカブリスト広場方面 銅像は使徒ヨハネ
 
 
ネヴァ川には豪華客船が接岸されていました
 
 
展望台の回廊はこんな感じです 
 
 
上は結構風が強かったです 下り口は北側(デカブリスト広場側)です
 
 
また螺旋階段を下ります 
 
 
北側の壁龕にあったキリストの磔刑
 
 
北側のドア
 
 
行きはバスに乗りましたが帰りはネフスキー大通りを歩いて戻ることにしました  写真はカザン聖堂
 
 
シンガー社
 
 
ドアの装飾
 
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ミハイロフスカヤ通りにある作家ニコライ・ゴーゴリの像 
 
 
グリボエードフ運河と血の上の救世主教会
 
 
ガスチーニィ・ドゥヴォールのアーケード 
 
 
オストロフスキー広場
 
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お昼頃ホテルの前にあるカフェXAY3でチェリーパイ、アップルパイ、チーズケーキを買ってお部屋で食べました
 
 
13時半頃ホテルを出発して空港へ向かいました レーニンは相変わらずタクシーが止まるのを待っていました(笑)
 
 
戦勝広場にある「レニングラードを勇敢に守った人々」の記念碑
 
 
 
30分くらいで空港に着きました
 
 
プルコヴォ空港
 
 
15:50のSU846便に乗ります
 
 
待合室は駐機場の中にあります
 
 
上に写っていた飛行機に歩いて乗りこみました 
 
 
モスクワまでは1時間くらいの飛行時間です
 
 
離陸してすぐにクロワッサンサンド(スモークチキンとチーズ入り)とアップルジュースが出ました
 
 
モスクワ シェレメーチェボ空港
 
 
20:00発のSU575便で成田へ  夜のフライトなので機内からの写真はありません
 
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離陸後1時間半くらいで機内食が出てきました 照り焼きチキン(上)かタラのマッシュルームソース(下)のチョイスでした
 
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着陸2時間前くらいに朝食が出ました  ブリュヌイ(ロシア風クレープ 上)かオムレツ(下)のチョイスでした
 
成田には10:20頃到着しました
 
 
大変長い間お付き合いいただきましたロシア旅行もこれで終わりです
 
次回からは3月に訪れたメキシコのお話です

再びメキシコへ

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2012年3月、6年ぶりにメキシコへと出かけることになりました

今回の目的はただひとつ年2回しか見ることが出来ないあるものを見ることでした

そのあるもののお話はずいぶん先になるとは思いますが・・・

6年前のメキシコのお話はこちら

成田発15:40のAM(アエロメヒコ航空)0057便でメキシコシティを目指します

搭乗機はこちら メキシコシティまでは約13時間の旅です

機内への搭乗は予定通りでしたが、なかなか離陸せず結局成田を出発したのは16:40でした

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水平飛行になってすぐに機内食が出てきました

照り焼きチキンかキノコのクリームパスタのチョイスでした 

サイドメニューはシーフードサラダ デザートはティラミスでした

到着1時間半前に2度目の機内食がでました

14:20頃メキシコ・シティのベニート・ファレス空港に到着

日本との時差はマイナス15時間です 日本時間で言うと朝の5:20に到着です

メキシコ合衆国の国旗は緑、白、赤の縦三色の中央に国章を配してます

緑は独立・希望を白はカトリック・宗教的な純粋さを赤は統一を表しているそうです

国章は1325年のアステカの首都「テノチティトラン」の創設を示しているそうです

国章「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている」図は

アステカ神話の「そこに首都を創設せよ」という予言を示しているそうです

メキシコ・シティの中心部へ向かう途中に見たモニュメント

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ちょうど中南米原産のジャカランダが満開の時期であちらこちらで咲いていました

レフォルマ通りにあるモニュメント

工事中の場所にあった幕にディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの絵がありました

アラメダ公園にある第26代大統領ベニート・ファレスの記念碑

ベジャス・アルテス宮殿 メキシコ最初の国立劇場

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左端のビルはラテン・アメリカタワー

 Casa de la Ajaracas

Catedral Metropolitana de la Asunción de María

ソカロ広場 正式名はPlaza de la Constitucion(憲法広場)

16世紀スペイン軍によって壊されたアステカ時代の神殿跡地に造られたおよそ200m四方の広場

奥の建物は国立宮殿

ソカロ広場越しに見たメトロポリタン・カテドラル

広場を1周したところでバスを降りて記念撮影

カテドラルの建設は1573年に始められ1818年に完成したそうです 

カテドラルの長さは54.5m幅は110mだそうです

正面右側入り口にある船のレリーフ

入り口から見た教会内部

Capilla de Nuestra Señora de las Angustias de Granada(グラナダの哀しみの聖母のチャペル)

17世紀前半に建てられたものだそうです 大聖堂の中には16の礼拝堂(チャペル)があります

赦しの祭壇と黒いキリスト 

 聖歌隊席

パイプオルガン

Capilla de la Inmaculada Concepción(無原罪の御宿りのチャペル)

王の祭壇

王の祭壇付近から見たカテドラル内部

信者席

Tabernacleの正面ファサード

カテドラルの地下から見つかったアステカの遺跡をガラス越しに見ることができます

Palacio Nacional

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1522年、アステカの王モクテスマ2世の居城があった場所にエルナン・コルテスがバロック式の宮殿を建てました

1692年暴動後取り壊されましたが1693年に再建され、その後何度か改修され現在の姿になったそうです

こんな大勢の人が歩いている通りを通って入り口へ向かいました

セキュリティを受けてソカロに面した宮殿の正面へ

毎年9月15日の独立記念日の前夜にはこのバルコニーに大統領が現れて

ソカロに集まった数万の市民に向かって「メキシコ万歳!独立万歳!」と叫ぶそうです

入り口を入ってすぐの所は噴水のある中庭になっています

中央階段を登ると目の前に現代三大壁画家の一人「ディエゴ・リベラ」の描いた壁画が現れます

1929年から1935年にかけて描かれた大壁画「Secuencia de la Hitoria de Mexico」

大壁画の中央にはアステカ民族の預言者であるサボテンに止まる鷲が描かれています

その上には左側にメキシコ革命、真ん中にはメキシコ独立、右側にはメキシコ改革命の様子が

下の左側と右側には植民地時代の様子が真ん中にはコルテスの侵略の様子が描かれています

白い馬に乗っているのがコルテス

左下は原住民に刻印を押している所、 右側は異端審問

憲法、改革命と書かれた垂れ幕を持っているのは先住民族から選出された初の大統領ベニート・ファレス

太った僧侶は教会権力と保守勢力を象徴しているそうです

正面右側は「La Leyenda de Quetzalcoatl」(1929年作)

上には伝説上のトルテカ、マヤ、アステカ文化の神ケツアルコアトル

その下には太陽のピラミッド(真ん中)と月のピラミッド(左)が描かれています

正面左側は「La Lucha de Clases」(1935年作)

中央にいる人物はカール・マルクス 両側には二つの未来のビジョン 世界の破滅と発展が、

四角形の中にはウオール・ストリート、僧侶の腐敗、教会の閉鎖、外国資本が描かれています

フリーダ・カーロと妹クリスティナ(赤の洋服)はマルクス主義の伝播者として描かれています

2階の回廊に上がって来ました

上から見た中庭

回廊の壁画

「La Gran Tenochtitlan」1945年作

1325年頃テスココ湖上に建設されたアステカ大帝国の鳥瞰図

上部右にはイストラシワトゥル、ポポカテペトゥルの2火山

中央部には水と農業の神「トラロック」軍神「ウイチロポツリ」に捧げられた祭壇を持つ大寺院

椅子に座っているのはアステカ帝国の統治者ウエイ・トラトニア

下部にはトラテロルコの市場が描かれています

水に浮かんでいる都の様子がよくわかります

神殿の階段には生贄にされた人達の血痕が見えます

「Civilizacion Tarasca」1947年作

タラスコ文化では染色技術、綿摘み、漁業、炭焼き技術が発展したそうです

右下では老女が若者に古文書の描き方を教えている所が描かれています

「Civilizacion Zapoteca」1947年作

サポテカ文化では羽毛の芸術と金銀細工を発達させたそうです

左上には羽飾りをつけた二人の戦士、左下では羽のモザイク模様を作っている様子

上では砂金採り、右下では宝石を加工してる様子が描かれています

「Civilization Totonaca」1950年作

トトナカ文化では太陽の動きを意味する石丸のゲームや52年のアステカの周期を象徴する飛行者のゲーム

の様な種々の祭礼的ゲームを発達させたそうです

右上には内部に365個の壁龕を有するタヒンのピラミッドが描かれています

手前にはアステカ族の首長がトトナカ族の首長に貢ぎ物(カカオ、タバコ)の支払いを受けているところだそうです

「Civilizacion Huaxteca」1950年作

ワステコ文化では右下にとうもろこし栽培、右上には耕作風景

左上にはとうもろこしの女神「テオシトレ」、左下にはとうもろこしを素材にした種々の料理が描かれています

「La Planta del Cacao」1951年作

カカオの採集から「苦水」を意味する神秘の飲み物「チョコアトゥル」が作られるまでの様子が描かれています

「El Maguey」1951年作

マゲイ(竜舌蘭)から作られるものを描いています

右上で抽出された樹液はテキーラに下では繊維を取り出し紙を作っています

「El Arribo de Hernan Cortes 1519」1951年作

1519年にエルナン・コルテスのベラクルス上陸の様子を描いています

国立宮殿の中庭には色々なサボテンがありました

出口から見たカテドラル

通りの様子をどうぞ(1分16秒)*注意 音が出ます*

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ソカロで見かけた物売りの人達

ソカロ広場を後にしてホテルへ向かいました 

ホテルはソナ・ロサ地区にあるガレリア・プラザ 6年前と同じホテルでした

ロビーではWi-Fiも利用できました

お部屋はこんな感じでした

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夕食は軽食でクラブサンドイッチとバニラアイスでした



いただきもの

早くにいただいていたのにご紹介が遅くなり申し訳ありません

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きゅきゅぐまのいちにち 」のあつこさんからいただきました

小倉山荘のあられとコント・ド・フランスのストロベリーの紅茶です

ありがとうございましたm(__)m

くいしんぼう猫」のcharikoさんからいただきました

出張で行かれた台湾、韓国のお土産、旅行で行かれたニューヨーク、イタリア、ドイツのお土産です

たくさんありがとうございましたm(__)m

ミュウミュウ的まったりLIFE」のカトリーヌさんからいただきました

可愛いミュウちゃんの載っているカレンダーと可愛い靴下入りお菓子とキティちゃんのストラップです

ありがとうございましたm(__)m

 

今年もたくさんの方にご訪問いただきましてありがとうございましたm(__)m

皆様よいお年をお迎えくださいませ

Pirámide del Sol

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 あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

写真はメキシコ カンペチェで撮った朝日です

メキシコ到着の次の朝、ホテルの近くにある独立記念塔までお散歩に行きました

独立記念塔は1810年に始まり1821年に終わったスペインからの独立戦争を記念して建立されたそうです

1910年9月16日、独立戦争100周年を記念して除幕式が行われたそうです

塔の高さは36m、頂上には独立の象徴であるエンジェル(全長6.7m、金メッキのブロンズ像)があります

この日は日曜日でレフォルマ通りは歩行者専用道路になっていました

街路樹はジャカランダでした

記念塔から歩行者道路を少し歩いてみました

ディアナ・カサドーラ噴水まで歩いてホテルに戻りました

この日はメキシコ・シティの北東50kmにあるテオティワカン遺跡へ出かけました

写真はホテルから30分くらいの所で見た18世紀に作られた水道橋

郊外にでると山の斜面に張り付いたように家々が立ち並んでいました

道はひどい渋滞でした

1時間くらい経った所で有料道路を降りて一般道路へ

こんな景色の中を走って

普通なら1時間で着くのですが、この日は2時間くらいかかって到着しました

入り口は5ヶ所ありますが、今回はPirámide del Sol(太陽のピラミッド)が真正面に見える2番から入りました

まずは記念撮影

テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀まで存在したテオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市の遺跡です

当時のアメリカ大陸では最大規模の都市でした

太陽のピラミッドは遺跡の中で最大の建築物で世界で3番目の大きさだそうです

高さ65m 底辺222m×225m

6年前に来た時にはすぐに登れたのですがこの日はまずピラミッドの横に回って並ばなければなりませんでした

30分くらい並んでやっと登り始めることができました

こんな階段を登ります

下を見てみるとまだまだ長蛇の列が

2層目の付近から見た景色

次の階段はこんな感じです

大勢の人が訪れているので人数制限しながら徐々に登っていきます

1時間くらいかかってやっと頂上へ到着 12時少し過ぎでした

太陽に一番近い場所でみんな太陽に向かって手を伸ばしていました

次々と人が来るので立ち止まると注意を受けるのでゆっくりしていられませんでした

頂上から見た月のピラミッド

月のピラミッドは6年前には頂上まで登れたのですが、現在は2層目までしか登れなくなっているそうです

降りるのにも時間がかかりました

降りた所で見上げたピラミッド

死者の道から見た月のピラミッド(高さ47m 底辺140m×150m)

前回の太陽のピラミッドと月のピラミッドはこちらでご覧になれます

 

Pirámide de Quetzalcóatl

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太陽のピラミッドの東側で音がするので行ってみると

民族衣装を着て踊っている人達がいました

どんな踊りかと言うと *注意 音が出ます*

太陽のピラミッドの東側を通ってお昼を食べるために入口4から外へ出ました 

この日のお昼はHotel Villas Arqueologicasで頂きました

こんな感じの廊下を通って 

レストランを通り抜けてプールサイドで食事をしました

水着姿で遊んでる人がたくさんいたのでプールサイドの写真はありません

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アスパラガスのスープ(左上) 魚のフライ(右上) チーズケーキ(右下)でした

ホテルの近くの遺跡敷地内では発掘している場所もありました

ディエゴ・リベラの壁画にも描かれていた無形文化遺産のポラドーレス(飛ぶ人)の儀式が行なわれていました

入口(Puerta)1から入ってPirámide de Quetzalcóatl(ケツァルコアトルのピラミッド)へ行きました

 入口の壁に描かれたトラロック(水の神)

太陽のピラミッドと月のピラミッドとセロ・ゴルド山 

テオティワカン遺跡は1987年に世界遺産に登録されています

奥に見えるのがケツァルコアトルのピラミッドです

一辺400mの城壁で囲まれた四角い建造物「城塞」

高さ7mの城塞の上にはかつては日常の宗教行事が行われていたピラミッドがあったそうです

城塞の中から見た太陽のピラミッドと月のピラミッド

城塞の真ん中では発掘が行われていました

ケツァルコアトルのピラミッドは手前にある祭壇や周囲の壁の上からしか見ることが出来ません

祭壇はタルー・タブレロ様式という傾斜の壁(タルー)と枠が付いた垂直の壁(タブレロ)を

交互に積み上げた建築様式で、すべての建造物はシンメトリーになっています

かつては赤い色が塗られていたそうで所々に赤い色が残っています

ケツァルコアトルのピラミッドは200年頃に建設された一辺65m、高さ20mの神殿です

6年前に来た時は調査中で装飾がよく見えなかったのですが修復も終わり綺麗になっていました

ピラミッドが間近に見える所まで行ってみました

レリーフをバックに記念撮影

ケツァルコアトルのレリーフ

ケツァルコアトルは羽毛のある蛇(ケツァルが鳥、コアトルが蛇)を意味し農耕の神だそうです

トラロックのレリーフだと長い間考えられていましたが現在はチャルチウィトリクエ(水の女神)だと言われています

トラロックは雨のような天から恵まれた水の神でチャルチウィトリクエは大地に存在する水の神だそうです

チャルチウィトリクエはテオティワカン文明時に信仰されていた神で

文明が衰退するとアステカの水の神トラロックに統一されたのだそうです 

帰りは雨が降っていましたが渋滞もなく 

40分くらいで市内へ戻りました 写真は革命記念塔

次に訪れたのはトラロックの石像が迎えてくれる場所です 

つづく

Museo Nacional de Antropología①

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次に訪れたのはMuseo Nacional de Antropología(国立人類学博物館)

まずは博物館中央にあるパティオへ

「傘」と呼ばれているブロンズの打ち出しは屋根を支える円柱と同時に噴水にもなっています

上から水が滴るそうですがこの時は残念ながら水は出ていませんでした

上のほうにある2つの顔は右側ヒゲのある方がスペイン人、左側がマヤ人

下の方には昼の太陽である鷲と夜の太陽であるジャガーが 

反対側はこんな感じです 聖なる木セイバの下に太陽があります

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まず最初に入ったのは先古典期室

メキシコ中央高原トラティルコの墓地で見つかったBC800~1200頃の「アクロバット像」

豊穣のシンボルである女性の土偶が多く見つかっているそうです

次に向かったのはテオティワカン室

太陽のピラミッド前の広場で発見された「太陽の円盤」

中央に太陽の神トナティウを表す髑髏があり、突き出た舌は太陽光線を表しているそうです

ケツァルコアトルのピラミッドの彩色された実物大のレプリカがあります

遺跡で見つかった壁画のコピー

真ん中にいる雨の神が雨を降らして、横にいる2人の神官が種まきをしているのだそうです

テオティワカンの勢力が大きかったことをあらわしている交易品

法螺貝は中が渦巻きになっているので雲を連想するのだそうです

蓋付き香炉

月のピラミッド前で発掘された水の女神チャルチウトリクエ 高さ316cm

真ん中にある穴には水晶か黒曜石がはめ込まれていたのだそうです

水晶でつくられたもの

黒曜石でつくられたナイフや矢じり

トルテカ室にあるカカシュトラ遺跡の壁画

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テオティワカンの事が書かれているステラ

球技場の的 メヒカ室の入口にあります

次はメヒカ(アステカ)室

メキシコのコインの裏に描かれた絵柄の元になった石碑

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オセロトル・クアウイシカリ

大地の神ジャガーを模した首と心臓を捧げる台

右下はジャガーの背中にある穴の模様のレプリカ

冥府ミクトランの王で死の神ミクトランテクートリの像

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メキシコ・シティのマヨール広場で見つかったティソクの石碑

敵対する民衆の神の髪の毛を攫み捕らえようとしているアステカの神の姿が彫られています

口が2重になっている春の神の像 毎年皮を脱いで新しく生まれ変わるという意味があるそうです

アステカ時代のチャクモール

チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神への生贄などの供物を運ぶ存在だと考えられていたそうです 

神殿の様子を再現したもの

アステカの首都「テノチティトラン」の復元模型と壁画

商業都市「トラテロルコ」の市場のジオラマ

1790年にソカロで発見された「太陽の石」アステカカレンダー 直径358cm 重さ25t

中央の太陽像トナティウの周りにはアステカの暦と宇宙起源論との関連を示す絵文字、記号が配置されているそうです

アステカの暦は1ヶ月を20日とし1年は18ヶ月に分けられていて残りの5日間は「魔の日」と言われていたそうです

太陽の石の復元図

アステカの大地の女神コアトリクエ像 高さ350cm

コアトリクエとは「蛇のスカートをはいたもの」という意味だそうです

切り落とされた首から落ちる二筋の血潮が蛇の形で現れていて植物再生、豊穣祈願の意味をもつそうです

ネックレスは人間の手と心臓でできていてスカートはトグロを巻いた蛇です

コアトリクエの足の裏にはこんなレリーフがあるそうです

コヨルシャウキの頭像 高さ77cm

コアトリクエの娘でアステカの月の女神 コヨルシャウキとは顔に鈴をつけた者との意味だそうです

人間や動物の骨でつくられた楽器

金でつくられたアクセサリーなど

健康と快楽の神、花と美と愛と幸福の若い神、音楽や舞踏、芸術の神、トウモロコシの神といわれるショチピリ像

ショチピリとは花の王子という意味だそうです

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博物館で最も素晴らしい作品だと言われている器

妊娠した猿が自分の尻尾を掴んでいる姿です

極度に壊れやすい黒曜石でつくられています

雨を呼ぶ雲を引き起こす風の神だと考えられているそうです

Museo Nacional de Antropología②

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次に入ったのはマヤ室

部屋にはいった所にあるマヤ遺跡の立体地図

メキシコ南東部チアパス州のパレンケ(Palenque)遺跡で見つかった香炉

「キン・太陽の神」 葬礼用火鉢の基部として使われたテラコッタ製多彩色土器

チアパス州トニナ(Toniná)遺跡で見つかった球技のレリーフ

パレンケ遺跡で見つかった化粧彫刻の人面像と土偶

チアパス州ヤシュチラン(Yaxchilan)遺跡で見つかったリンテル(まぐさ石)26号

724年と726年の日付がありカバル・ショーク王妃がイツァムナーフ・バラム2世に

権力の象徴であるジャガーの兜を手渡している様子が描かれています

チアパス州イサパ(Izapa)遺跡で見つかった祭壇(手前)と石碑1(後)

石碑には雨と雷の神が描かれています

イサパ遺跡で見つかった石碑21

首を切られた神の頭を持った戦士が描かれています

ヤシュチラン遺跡で見つかった石碑41(左)とまぐさ石12(右)

ユカタン州にあるサイール(Sayil)遺跡の宮殿の復元

トニナ遺跡の階段にあったレリーフ 捕虜が描かれています

作りかけの石碑 

まだ文字が刻まれていないことから絵と文字を描くのは別の人だとわかったそうです

地下の展示室にあるパレンケ遺跡の碑文の神殿のパカル王の墓を実物大に復元したもの

石室は高さ7m、幅4m、奥行き9m 壁面のレリーフは死後の世界の9神

石棺の中は生命の象徴と言われる赤い粉で覆われています 

パカル王が身に着けていた翡翠でできた装飾品 足元にある小さな像は植物の神様

一番有名なのが翡翠でできた仮面

死者の顔に塗った漆喰の上に直接翡翠の断片をモザイク状に張り合わせたものと考えられているそうです

発見当時、バラバラになっていたモザイクを復元したのだそうです

墓室から見つかった漆喰で作られた頭部 

トウモロコシの神に扮したパカル王(左)と若い頃のパカル王(右)

副葬品の翡翠の細工品

 カンペチェ州Placeresにある遺跡から盗まれた漆喰彫刻を修復したもの

中央に火の神、両脇には暦の象徴を両手で支える年老いた2人の神が描かれています

ユカタン州カバー(Kobah)遺跡にある仮面の神殿の装飾の1つ マヤの雨の神チャック

ユカタン州にあるウシュマル(Uxmal)遺跡から見つかったウシュマルの女王と呼ばれている彫刻

蛇の頭から顔を出している人物は顔に刺青をしていて本当は男性だということです

ユカタン州にあるチチェン・イッツァ(Chichén Itzá)遺跡の金星の神殿から見つかったチャックモール像

チチェン・イッツァのセノーテ(聖なる泉)から回収された金製品や土器

キンタナ・ロー州で見つかった漆喰製多彩色容器

キンタナ・ロー州にあるトゥルム(Tulum)遺跡の建物入口上部を飾った降臨する神のレリーフ

植民地時代にマヤ語で書かれた聖書

夕食の為にセントロにあるレストランへ向かいました 写真はアラメダ公園のメリーゴーランド

ライトアップされたペジャス・アルテス宮殿

1912年に創業された老舗 カフェ・デ・タクバ

ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロが結婚披露宴を開いたお店としても有名だそうです

人気のあるお店らしく満席で入口には並んでいる人がたくさんいました

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サルサ・ベルデ(緑)とサルサ・メヒカーナ(赤)とライムは調味料(左上)かぼちゃの花のスープ(右上)

ビールはネグロ・モデロ(黒ビール)とモンテホ(ユカタン半島の地ビール)

メインはMole Poblano con Pollo(鶏肉のモーレソースかけ)(右下)

モーレ・ポブラーノは唐辛子、挽いたナッツ、香辛料、チョコレート、塩、

焼いたアボカドの葉、タマネギ、ニンニクなどを混ぜて作られたソースです

デザートはチョコレートアイス(左下)


Villahermosa

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1950年代に建てられた42階建てのラテンアメリカ・タワーを見ながら空港へ向かいました

20分でベニート・フアレス空港に到着しました

出発ロビー

11:45発のAM507便で東へ移動します 

離陸して少しすると5000m級の山々が見えました

下を見てみるとこんな景色や

こんな景色が見えました

メキシコ湾が見えてきたら降下し始めました

1時間20分くらいでVillahermosaに到着しました

カルロス・ロビロサ・ペレス国際空港

ビヤエルモサはタバスコ州の州都で「美しい街」という意味だそうです

ビヤエルモサは1596年グリハルバ川沿いにスペイン人により作られた街です

空港から20分くらいで街に到着します

 

観光の前にホテルハイアット・リージェンシーでお昼を食べました

こんなレストランで

こんな景色を見ながらビュッフェランチでした

  

机の上にはメキシコの食卓には欠かせないライム、サルサ・メヒカーナ、サルサ・ベルデの3点セットがありました(左)

サボテンと野菜のジュース(右)

  

いろいろなサルサソース

  

冷たい料理(左) パン(右) 

  

スープ類(左) 温かい料理(右)

  

左の野菜をトルティージャにのせて作ってくれるエンチラーダ

  

デザート

Parque Museo La Venta

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昼食後に訪れたのはラ・ベンタ野外博物館公園

6.8ヘクタールの面積を持つ公園内に1925年にラ・ベンタ遺跡から出土したものが屋外展示されています

ラ・ベンタはBC900年~BC500年にかけて栄えた先古典期のオルメカ文明の中心地だったそうです

オルメカ文明はメソアメリカ文明の母体となったことから「母なる文明」と呼ばれているそうです

オルメカとは現地の言葉で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の住民をさした言葉だそうです

写真はラ・ベンタ遺跡の模型

モニュメント13 「El caminante」 80×72cm 地図1

ラ・ベンタ遺跡の入口にあったもので旗を持った人が歩いている姿が彫られています

モニュメント67 「El trono」 90×207×90cm 玉座と言われている石 地図2

モニュメント5 「La abuela」 142×100cm 地図3

おばあさんと言われる像 ジャガーの口をしていて手にはお皿を持っています

ステラ3 「Del Hombre Barbado」 426×190cm 地図4

下には顎飾りをした人が彫られていて上には6人の人(先祖)が飛んでいるそうです

モザイク 「Mascarón」 400×432cm 地図5

大地への奉納品として作られたジャガーの頭のモザイク画だそうです (上下逆さまに写してます^^;)

モニュメント7 「Tumba」 180×250×400cm 地図6  お墓だそうです

「Estacade de columnas naturales de basalto」 地図6 

玄武岩の柱が遺跡内にこのように並んでいたそうです

モニュメント3 「El joven guerrero」 198×153×121cm 地図8 ピアスをしている若き戦士の像

オルメカ文化の特徴である「オルメカの頭」を意味するスペイン語のCabeza Olmeca(カベサ・オルメカ)

あるいは英語のOlmeca Head(オルメカ・ヘッド)の呼称で知られる巨石人頭像

モニュメント4 「El viejo guerrero」 226×197×203cm 地図9 歯が見えている老いた戦士の像

以前はその風貌からアフリカとの交流説もあったそうですが、頭の「ヘルメット」と呼ばれる浮き彫り紋様が他の石碑や

石彫などとの類似点が見られ、オルメカの歴代君主あるいは球技の競技者の肖像だという説が有力だそうです

モニュメント68 「Cabeza inconclusa」 185×100×65cm 地図10

顔を彫っている途中でヒビが入ってしまったために放棄された像

遺跡のあちらこちらでハナグマがウロウロしていました

祭壇6 「Altar Cuadrangular」 144×137×66cm 地図11

洞窟から人が顔を出している所を表しているそうです

洞窟は村の起源、死の世界の入口だと考えられていたそうです

祭壇5 「Altar de los niños」 154×190×170cm 地図12

遺跡の中で最も美しく完璧に残っている祭壇だそうです

外側のレリーフも綺麗に残っていました

モニュメント77 「El gobernante」 104×71cm 地図13

太陽を表す文字×(バツマーク)が彫られている像 後のマヤの太陽信仰の始まりだそうです

ジャガーの皮を被っています

祭壇1 「Altar felino」 185×265×280cm 地図14

ジャガーの爪が彫られているそうです

祭壇7 「Altar de los tecolotes」 120×175cm 地図15

外側にいくつかのフクロウの頭と羽根、爪が彫られているそうです

モニュメント59 「Altar del jaguar」 95×65×113cm 地図16

顔が人間で体がジャガーの像

モニュメント20 「El delfin」 35×62×187cm 地図17 イルカの像

モニュメント56 「Mono mirando al ciero」 124×54×43cm 地図18 空を見上げる猿の像

モニュメント60 「Jaguar  niño」 61×51cm 地図19 赤ちゃんジャガーの像

モニュメント65 「El contorsionista」 66×49cm 地図20

顎の下にあるのは足でアクロバットをしている像だそうです

モニュメント78 「Caveza tatuada」 92×74cm 地図22 刺青をした頭の像

祭壇4 「Altar triunfal」 160×319cm 地図23

上部にはジャガーの目と牙が彫られています

ステラ2 地図25 頭飾りをつけて笏を持った人物が彫られています

モニュメント1 「Caveza del guerreto」 241×225×221cm 地図26 一番大きな巨石人頭像

横から見たらこんな感じです

モニュメント63 「Personaje con estandarte」 256×75×45cm 地図27

頭飾りをつけた人とサメが彫られています

祭壇3 「Altar de diálogo」 161×166×166cm 地図30

祭壇2 「Altar erosionado」 99×134×129cm 地図31

祭壇5と同じで子供を抱えている像が彫られています

モニュメント66 「Lapida con lncisiones」 101×173×37cm 地図32 平行線が刻まれた石 

ステラ1 「Diosa joven」 251×79×66cm 地図33 女神の像 

公園には小さな動物園も併設されていてジャガーの他にオオカミ、ワニ、手長猿などもいます

公園内の石像や石碑などはすぐ側で見ることが出来ますが触ってはいけません

 

お詫び

月末月初と忙しくて皆様の所へのご訪問とコメントへのお返事が滞っています

今週中頃には少し時間が出来ると思いますので・・・

Hotel Plaza Palenque

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ラ・ベンタ野外博物館を見学した後、この日宿泊するPalenqueの町まで160kmの移動です

街を出るとすぐにこのような景色が続いていました

時々、牧場らしき建物も見かけました

いくつもの川を渡り

牛や馬の群れを見ながら進みました

途中こんなお店や

こんな村を抜けて行きました

2時間くらい経った頃滑走路らしきものが見えました

パレンケ空港です 現在は定期便は飛んでおらずチャーター機や小型機が利用しているそうです

空港から5分くらいでパレンケの中心地に着きました

この日の宿泊はホテルパレンケプラザでした ロビーはこんな感じです

お部屋はロビーを抜けた中庭にあるプールに面した所でした

お部屋の中はこんな感じです

夕食はホテルのレストランで頂きました レストランにあるビールがわかりやすいようにカウンターに飾ってありました

頼んだのはドスエキスビールのラガー 手前の小さなグラスは同じテーブルの人が頼んだテキーラ

人参のクリームスープ

メインはFilete de Pescado a la Veracruzana(ベラクルス風魚料理)

トマトやオリーブ、白ワインなどを使った酸味のある味付けのソースがかかった白身魚の料理です

デザートはフルーツカクテル

次の日見た朝日が綺麗でした

ホテルの前の道はこんな感じでした

ホテルの中にはマヤ風の蒸し風呂もありました

お庭にはトゥカン(オオハシ)や

アカオビチュウハシが飼われていました

トゥカンの鳴き声と動く姿を御覧ください

放し飼いにされているホエザルもいます

子供のサルも含め3匹のホエザルを見ました

この後はホテルの入口にもあったドクロうさぎの紋章文字を持つ遺跡へ向かいました

Palenque (zona arqueológica) Tempro de las inscripciones

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ホテルを出発してパレンケ遺跡へ向かいます

車で10分も走ると熱帯雨林が広がっていました

遺跡の駐車場に到着 お土産屋さんが並んでいました

パレンケはユカタン半島の付け根に当たるメキシコ南東部チアパス州に位置し

7世紀に最盛期を迎えたマヤ古典期後期を代表する都市です

パレンケの周辺に人が住み始めたのは紀元前後に遡るそうです

都市の建設が始まったのは4世紀頃と考えられています

都市は10世紀頃に放棄され無人となり、18世紀半ばに訪れた宣教師に発見されたそうです

本格的な発掘調査が始まったのは1948年だったそうです

古代都市パレンケは1987年に世界文化遺産に登録されています

都市パレンケは8k㎡という広大な敷地を持っているそうですが

これまで発掘されたのは中心部のわずか15万㎡だそうです 

少しわかりづらいですが、入口にあった遺跡の地図です

この地図は南が上になって描かれていました(右の真ん中あたりの赤い印がある所が遺跡の入口です) 

整備された道を進むとこんな景色が目の前に見えてきました

 神殿12(別名 頭蓋骨の神殿)  Tempolo de la Calavera(地図2) 

こんな階段を上ります

手前の部屋はかろうじて形が残っていました 

この神殿からもお墓が見つかったそうですが、盗掘に合っていたため財宝は見つからなかったそうです 

奥の部屋は壁がなく屋根だけでした 

頭蓋骨の神殿はこのウサギのドクロのレリーフが見つかったことから名前がつけられたそうです

パレンケの王朝名はバカル(骨)というのだそうです

上から下をみるとこんな感じです 真ん中にあるのはマヤ文明の聖なる木セイバ 

ドクロのある柱の前から見た隣の神殿13方向(東側)

その奥に見えるのは宮殿

セイバの木は枝は天界、根は地下界に通じていると言われています

マヤの都市では東西南北に植えられていたそうです

東側から見た頭蓋骨の神殿と神殿13

次は神殿13(地図3)に入ってみました

この神殿では1994年に「赤の女王」と言われるパカル王の王妃のお墓が見つかったそうです

こんな入口を入ります

正面に赤く塗られた石棺がある部屋がありました ここから「赤の女王」が発見されました

石棺が赤く塗られているのは再生を願ってのことだそうです

ちなみにマヤでは方角に色がついていて東は赤(生誕)西は黒(死)北は白(天界)、南は黄色(地下界)だそうです

奥に入ると階段が上に続いていました

反対側は行き止まりでした

神殿13から見上げた碑文のの神殿

碑文の神殿(Tempro de las inscripciones)(地図4)

パレンケにあるピラミッドの中で1番高いピラミッドで高さ22.8mです

1952年にパカル王のお墓がここから発見されました 

残念ながら現在はお墓を見ることも69段の階段を登ることもできません 

神殿部分の柱にはレリーフも残っています

階段の下にはアルター(祭壇)もありました

実物は見れませんがメキシコ国立人類学博物館にはお墓が再現されています

石棺の蓋に描かれたレリーフが長辺を上にして見るとロケットに乗り操縦桿を握った宇宙飛行士のように

見えたためマヤ文明は宇宙人によって作られた文明であるとの根拠にされたそうです

本当はトウモロコシの神に扮したパカル王が地下世界から再生している姿を表しているそうです

真ん中にあるのはセイバの木、木の上にいる鳥はケツァールだとか・・・ 

お土産屋さんには石棺のレリーフが描かれた革製品やパカル王の翡翠の仮面のレプリカが売られていました

碑文の神殿が見える場所にパカル王のお墓の発見者アルベルト・ルスのお墓がありました 

東側から見た碑文の神殿

次回は宮殿の中をご紹介します

El Palacio

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宮殿は王族の住居であったとされる建物です 正面南側(写真の左側の階段)から中に入ります

宮殿の最初の部分は7世紀に建てられましたが、その後増改築され現在のようになったそうです

階段横の柵の中に漆喰彫刻が残っていました

長い間にわたり増改築が繰り返されたのでどの時代のものか特定は出来ないそうです

作られた当時は赤や青の彩色が施されていたそうです

階段を上りきった所から一方通行で回るようになっていました 入口は真ん中にあるアーチのある所です

マヤアーチのトンネルの中を進みます

所々にT字型の窓がありました Tはマヤ文字で風をあらわしているそうです

トンネルの中には間仕切りした部屋がいくつかありました

暗い中、階段を上りました

上りきった所で左後ろを見てみると次に訪れる神殿群の屋根が見えました

左を見ると先ほど訪れた碑文の神殿が見えました

宮殿の中にはスチームバス(写真手前)と水洗トイレもあったそうです

これが水洗トイレです

マヤ建築では珍しい4階建ての塔

見張り台として使われたとか天体観測用の塔だったとか諸説あるそうです

CASA「C」 661年に建造されたそうです

柱に残された漆喰彫刻

CASA「D」 宮殿の外壁にあたる部分(西側)で碑文の神殿のある広場から見えた階段の上の部分に当たります
 

こちらの漆喰彫刻はかなり立体的でした

こちらはパカル王がトウモロコシの神に扮して踊っている所だそうです

 

宮殿の北側にはこのような風景が見えました

北側の通路にあった漆喰彫刻 少し色が残っていました

東の広場は3つのCASAに囲まれています

CASA「A」

CASA「A」の前にある彫刻された石板

662年の戦いの捕虜が彫り込まれているそうです

CASA「C」 

CASA「C」の土台部分にも捕虜の彫刻と神聖文字が彫られています(階段の左側)

階段を挟んで3体ずつ6体の捕虜が彫られています(階段の右側)

階段には神聖文字が彫られていて、599年のカラクムルとの戦いの敗北から始まって

パカル王の時代の戦勝、659年の6名の捕虜を捕ったことまでが記されているそうです

CASA「C」の内部の壁にも漆喰彫刻が残っていました

 

 

 

神聖文字もありました

1周して最初の広場に戻って来ました 階段の右側に塔があります 

CASA「E」の中にある石板は複製だそうですが金網があって近くで見ることはできませんでした

IMG.jpg

ガイドブックからお借りしました 

双頭のジャガーに乗ったパカル王が母親から王冠を受け取るレリーフが彫られています 

漆喰の壁に色が残っている部分がありました 

屋根がなくなっている建物に石のベッド(?)がありました

出口の上にあったレリーフ

次は神殿群をご紹介します

El grupo de la Cruz

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オトルム川を渡り川の東側のエリアへ向かいました

3mくらいの石組みで固められている護岸は当時のままのものだそうです

こんな道を抜けると

目の前にTemplo de la Cruz(十字架の神殿)が現れました

西側にはTemplo del Sol(太陽の神殿)と神殿14、神殿15があります

東側にはTemplo de la Cruz Foliada(葉の十字架の神殿)があります

真ん中の擬似アーチの左右にトウモロコシの葉と人間の首を表す窓(鍵穴みたいなもの)があります

神殿の内部にある石板

生命の樹から生えたトウモロコシの葉っぱに顔がついたものが彫られています

上からはこんな景色が見えます

次は十字のグループで一番大きい十字架の神殿に上りました

神殿内部の石板に十字架の図が見られることから名前がつけられました

生命を象徴する樹が十字架の様に見えたのだそうです

この石板は複製で本物は国立人類学博物館にあります

神殿の西側からは宮殿や碑文の神殿が見えます

太陽の神殿は冬至に太陽が沈む方向に建てられているそうです 

内部にある石板

真ん中に太陽神が描かれた盾と2本の交差した槍が彫られています

石板に684年と692年の文字が見られるそうです

太陽の神殿の上から見た十字架の神殿

神殿14の内部の石板

カン・ホイ・チタム2世(在位702年~711年)がパレンケの神像を母親から受け取る即位の場面だそうです

神殿15は基礎部分しか残っていませんでした

十字架の神殿を見上げながら先へ進みます

宮殿の西側部分の横を通ります

外壁に残る漆喰彫刻が下からでもわかりました

宮殿の北東にある球戯場

宮殿の北側部分

北のグループの神殿

同じ基壇上に5つの神殿が並んでいます

屋根で保護されていた部分にあった漆喰彫刻

2.jpg

Templo del Conde(伯爵の神殿)

探検家で自称伯爵のジャン=フレデリック・ヴァルデックがここに住んでいたことから名前がつけられました

ヴァルデックはここに滞在しパレンケ遺跡をスケッチしていたそうです

上に登ってみました

上から見た北のグループの神殿

上から見た階段

球戯場を通り抜けて北へ向けてオトムル川沿いに歩いて行くとソンブリーリャの滝があります

滝の少し先にあるグループB 

パレンケの最晩年の居住区だそうです

コウモリのグループ

グループBよりも大きな居住区だったそうです

オトムル川にかかる吊り橋を渡ります

橋の袂にはこんな木もありました

乾季で水が少ないので自然に出来た鍾乳洞がよく見えました

お昼は近くにあるHotel Villas Kin-Haで頂きました

レストランはこんな感じです

1.jpg

テーブルの上にはサルサソースとトウモロコシチップがありました

Sopa Juliana(野菜のスープ)

メインはEstofado de Res(牛肉の煮込み)

デザートはフルーツカクテル



 お知らせ

メキシコ旅行記の途中ですが、今週水曜日から旅行に出かけます

今回の旅先はBRICsの中でまだ訪れたことがなかった世界第2位の人口を持つ国です

その国の西部と北部を旅してきます

無料Wi-fiが使えるようでしたらあちらからも記事をUPしたいと思います

今月最後の週まで皆様のブログへのご訪問とコメントへのお返事が出来ないことお許し下さい

miffy

今、ここにいます


インド行ってきました♪

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インド旅行から帰ってきました~

体調悪くなることも飛行機や列車の遅延も欠航もなく無事に戻って来ました

今回の旅行は西インドの港町ムンバイから入り

デカン高原にあるこんな遺跡や

聖なる河ガンガーや

官能的な彫刻で有名なこんな寺院や 

とっても有名な美しい霊廟などを巡り

最後はインドの首都デリーを訪れ帰ってきました

毎日30度以上の暑さで日差しも強かったですが、日陰に入れば涼しかったです

帰国した日の東京は桜がちょうど見頃だったので千鳥ヶ淵と

上野公園でお花見もしてきました♪

インド旅行の詳しいお話は現在のメキシコ旅行、昨年夏のブルガリア、ルーマニア旅行が終わり次第始めますね~

Península de Yucatánへ

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パレンケ遺跡見学後昼食を終えるとこの日はメキシコ湾岸の町まで370kmの大移動でした

199号線を進みパレンケの街を通り抜け

線路を渡り

こんな景色を見ながら北へ向かいました

煙が見えたので火事かな?と思ったら畑を焼いているところでした

途中186号線に合流してウスマシンタ川を渡りました

道沿いの草地では牛が気持ちよさそうにお昼寝したり草を食べたりしていました

いくつか小さな川を渡って

出発してから2時間半くらい経った頃

Escárcegaという街の近くにあるこんなレストランで休憩しました

しぼりたてのオレンジジュースとプリンをいただきました

お店の中でトルティージャも作っていました

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右にあるドラム缶で焼いていました

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このお店の裏でメキシコに来て初めて猫ちゃんを見ました

そこから1時間くらい走ったところでメキシコ湾にでました

180号線を海沿いに進みChampotónという街を通り抜けました

18時10分過ぎ太陽が沈みました

18時半頃Campecheの街に入りました

パレンケから5時間半かかってこの日の宿泊ホテルデル・マルに到着しました

お部屋はこんな感じです

ベランダからはプールが見えました

 1.jpg

夕食はホテルのレストランでいただきました

ビールはドスエキスのアンバー、その隣の赤い飲み物はウェルカムドリンクのテキーラ・サンライズ

右の白い飲み物はリモナーダ

まずミックスサラダをいただきました

メイン料理はエビのガーリックグリル

デザートはココナッツアイスでした

夕食後、21時過ぎてましたが近くのソカロまでお散歩に行きました

コロニアル風の建物がライトアップされていて綺麗でした

カンペチェ大聖堂

 アーチが美しかったです

Centro histórico de San Francisco de Campeche

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朝、ベランダから見ると海岸線を歩いている人がたくさんいたので散歩に出かけました

写真はPedro Sainz de Baranda(1787年生1845年没)の像

トラファルガー海戦にも参加した軍人で後にユカタンの知事になった人だそうです

Obelisco a Los Niños Heroes(英雄少年のオベリスク)

メキシコ戦争のチャプルテペックの戦いで砦に残り戦った6人の少年兵を讃えた記念碑です

同じような記念碑が全国にあるそうです

海岸沿いの歩道は整備されていてウォーキングやランニングをしている人が多かったです

メキシコの肥満率は非常に高く運動をする事を政府が進めているのだそうです

散歩をしている途中で朝日が上ってきました

La Novia del Mar(海の花嫁)像

まだ先がありましたが30分くらい歩いたのでこの辺で後戻りすることにしました

ホテルの前を過ぎてすぐくらいの所に古い大砲が飾ってありました 

Parque de Mochcuoch付近から見た大聖堂

1時間くらいお散歩してホテルに戻り朝食を食べました

8時頃ホテルから歩いてカンペチェ旧市街を見学に出かけました

国旗のある辺りにはPuerta del Mar(海の門)があります

スペイン植民地時代に海賊から町を守る為に長さ2650mにも及ぶ城壁が築かれたそうです

城壁の中に入ると色とりどりの建物がありました

Plaza de la Independencia(独立広場)

城塞都市カンペチェは1999年に世界遺産に登録されました

広場内にはこんな像もありました

前の晩ライトアップされていた建物は旧市庁舎で現在は市の図書館だそうです

カンペチェ大聖堂

1540年に聖母マリアを祀るために藁葺き屋根で造られた小さな教会だったそうです

1650年に改装し拡大され現在の建物は1760年に完成したものだそうです 

内部はシンプルな造りでした

主祭壇

ステンドグラス

パイプオルガン

聖母マリアを祀った祭壇

 

 

広場を回って海の門の方へ向かいました

城壁の前にあった像

海の門

海の門から旧市街を歩きました

途中までは道の真中に様々な像が飾られていて車が入ることができなくなっていました

Convento de San Roqueは修復中でした

パステルカラーに彩られた建物がステキでした

 交差点の所で見た横の道にある建物も様々な色で塗られていました

通り過ぎた道を振り返ってみました

 

15分歩いた頃、遠くに門が見えて来ました

Porta de Tierra(陸の門)

陸の門付近から見た歩いてきた道

門の近くにあった靴修理屋さん

左にある入口が城壁の外から見た陸の門です

 マーカーがついている道を歩きました

Kabáh①

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カンペチェ観光後、内陸部にある遺跡へ向けて150kmの移動です

後ろ姿ですが、この地方の民族衣装を着た像がありました 

180号線をメリダの方へ進みます

1時間くらい進んだ所でコンビニでトイレ休憩

まだ10時前でお腹は空いてないはずなのについついスナックを買ってしまいました

このような景色を見ながら進みました

 時々このような民家を見かけました

261号線を進んで

休憩から1時間くらいでKabáh(カバー)遺跡に着きました

カバーは850年~900年に建設された都市でマヤ語で「強い手」を意味するそうです

まず入口を入って右手にある高台にある建物に向かいました

奥に見える階段を上ります

階段は幅が狭くて結構急でした 

下に見える石は男性のシンボルを表したものでこの時代に崇拝されていたそうです

El Codz Poop(コズ・ポープ) 別名「仮面の宮殿」

コズ・ポープとは「クルクル巻いた敷物」という意味だそうです

手前の敷地には壊れた仮面の装飾のパーツが整然と並べてありました

近寄ってみると石に彫られた装飾が良くわかりました

Chultúnと言う貯水槽

こんな造りになっているそうです

貯水槽の後ろにあるのは宗教儀式用の祭壇で、台座にはマヤ文字が残っていました

修復時に順序がめちゃくちゃになったそうで何が書いてあるのかわからないのだそうです

 

壁一面に並ぶのは雨の神チャック像です

マヤの神聖暦ツオルキンの周期と同じ260体あり、宗教的な意味合いをもっているそうです

クルクル巻いた敷物とはチャック像の曲がった鼻からつけられたそうです

下を向いた鼻は雨が降ったことへの感謝、上を向いた鼻は雨乞いを意味しているそうです

一番下にあるチャックの鼻は上に登るための踏み台だったそうです

これがチャック像一体でもーきちさんの座っている所が口、丸いのは眼、四角いのはピアスだそうです

コズ・ポープの裏側の行政府だった部分へいく途中にも綺麗な装飾が残っていました

上の装飾のあたりから西側を見ると大宮殿(ピラミッド)が見えました

角を曲がるとまたレリーフが続き 

上には石像が見えました

「代々続く支配者=強い手」を表していると言われています

行政府の入口部分にはレリーフがありました

こちらのレリーフには捕虜の髪を掴んでいる所が彫られていました

捕虜を踏みつけにしている人の手にはナイフが・・・

行政府を下から見るとこんな感じです

続きます 

 

Kabáh②

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カバー遺跡の続きです

El Palacio(宮殿)グループの東側にある建物  30以上の部屋があったと言われています

西側にある建物

北側にある建物

宮殿グループを見た後、門の外に出て道路を渡り向かい側の敷地へ向かいました

まだ発掘されていない住居跡の間の道を進みました

途中あったこんもりした山は未発掘のピラミッドだそうです

木々の間から大ピラミッドも見えました

凱旋門

あまりよくわかりませんが天井部分には赤く塗装された跡が残っています

凱旋門から続く道はSacbe(白い道)と呼ばれるものでかつては白い漆喰で覆われていたそうです

この道は20km先にある古代都市ウシュマルに繋がっているそうです

その後、遺跡から10分くらいの所にあるサンタエレーナ村のマヤの末裔の方のお宅を訪問しました

門を入るとマンゴーや

バナナの木がありました

家に入って最初の建物には祭壇がありハンモックが吊るしてありました

この家の女の子がハンモックの使い方を説明してくれました

その隣の建物は台所になっていてお母さんとおばあさんがトルティージャを焼いていました

焼きたてのトルティージャに黒糖をつけて頂きました

台所の外にはメタテという食物をすりつぶす道具がおいてありました

その形状は3000年前からほとんど変化がないそうです

お庭にはマラカスの材料になるマラカの実もありました

山羊さんや

豚さんが飼われていました

写真には撮ってませんが放し飼いの鶏さんや七面鳥さんもいました

家長であるおじいさんが旅の安全を祈願してくれました

お家はこんな感じでした ハンモックの説明をしてくれた女の子と母の記念撮影

村から10分くらいでウシュマル遺跡の入口にあるホテル「LODGE AT UXMAL」に着きました

お昼ごはんをこのホテルのレストランで頂きました

レストランの入口ではこんな方々がお迎えしてくれました

 

 

レストランの屋根の内部

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ENTRADA YUCATECA(ユカタン風の前菜)(左上) SOPA DE LIMA(ライムスープ)(右上)

MEDALION DE POLLO ENVUELTO EN TOCINO(ベーコンを巻いた鶏肉料理)(左下)

POSTRE DE QUESO(チーズケーキ)(右下)

このレストランで6年前グアテマラからメキシコまで案内してくださった日本人ガイドさんと再会しました

私達とは反対周りのコースで、前日に見た今回の旅行の最大の目的である現象の写真も見せてもらいました



 おまけ

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レストランのトイレの入口にあった表示

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