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Пловдив(プロヴディフ)市内観光

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ブルガリアで4番目に長い川マリツァ川を渡りプロヴディフの市内観光に出かけました

プロヴディフは6千年の歴史を有する都市で紀元前4千年ごろの住居跡が見つかっているそうです

紀元前2千年頃にはトラキア人の集落が造られ「エウモルピアス」と呼ばれていました

交通の要衝に位置していたことから商業が栄え、紀元前342年から341年にかけて

古代マケドニア王ピリッポス2世がこの地域を征服した後「フィリポポリス」と改められました

後にトラキア語に訳した「プルプ=デヴァ」も用いられるようになりました

その後、ローマ人がこの地を手にすると3つの丘を意味する「トリモンティウム」と改められました

現在のプロヴディフという呼称は以前のトラキア語呼称をプルガリア語化したものだそうです

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プロヴディフは7つの丘の上に築かれそこから発展してきました

20世紀初頭までは7つの丘が存在していましたが、

街の建造の為に1つの丘が取り壊され、現在は6つの丘が残っています

写真の右上の塔はカトリック教会の聖ルイ大聖堂

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市内にはローマ遺跡がたくさん残っています 中央広場にある公開会議場跡(右にある建物は郵便局)

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道を挟んだ場所にはフォーラム(公共広場)にあった建物の跡があります

この辺りは古代都市の中心部だった場所だそうです

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客席数300から350の音楽堂もあり現在もイベントで使用されています

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遺跡を通り過ぎた広場にある姉妹都市までの距離を表した標識 

岡山市とは1972年に姉妹都市になったそうです

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郵便局の西側にある広場

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歩行者天国になっている街のメインストリート アレキサンダー1世通り

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19世紀の建物が多く残っています

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 こちらの建物の向かい側は

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噴水のある広場があります ここは市民の憩いの場になっているそうです

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広場にある市役所

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建物の中には修復されずに壊れかけているものもありました

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通りの途中にはこんな銅像もありました

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通りは幅も広く、休憩できるようにベンチもたくさん置かれていました

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ジュマヤ広場に出ました ミナレットがあるのは14世紀に建てられたジュマヤ・ジャーミヤ

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広場の下には2世紀に建造されたローマ競技場の跡がありました

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上から覗くと13列の客席が見えました

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下に降りると競技場への入口も見えました

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競技場の大部分はメインストリートや周りの建物の地下に眠っているままだそうです

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モスクの前にはバラが植えられていて甘い香りが漂っていました

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モスクの壁にあった日時計

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モスクの前を通り旧市街へ向かいました

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坂を登って行くとКатедрален храм „Свето Успение Богородично“(生神女聖堂)が見えてきました

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1884年に建てられた教会です

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メインストリートにあったのと同じ作者(?)の像

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19世紀に設立されたプロヴディフ・アート・ギャラリー

4つの建物に5000を超える芸術作品を保有しているそうです

1981年にブルガリア建国1300年を祝してメキシコの画家たちから作品が寄贈されたそうです

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旧市街は坂が多く石畳なので歩くのが大変でした 左の建物は1860年に建てられたスコベレフ邸

2003年にブルガリアの画家Георги Божилов(1935年生2001年没)の作品が常設展示されています

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スコベレフ邸の壁にもモザイクで作った日時計がありました

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1872年に建てられたアンドロフ医師の家 1981年に薬局博物館になったそうです

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ブルガリアの画家ズラテュ・ボヤジエフ(Златьо Бояджиев1903年生1976年没)のギャラリー

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古い建物を使ったお土産屋さんもありました

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旧市街は猫ちゃんも多かったです


Регионален етнографски музей

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プロヴィディフの旧市街の観光の続きです

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Свети Константин и Елена(聖コンスタンティンとヘレナ教会)

市内で最も古い教会の一つで最初の建物は337年に建てられました

現在の建物は1832年に建てられたものです 

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鐘楼

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壁のフレスコ画(右側は聖ミカエル)

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内部は撮影禁止でした(写真はお借りしました)

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教会の地下で13~14世紀の教会の建物の基礎が発見されたそうです

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軒下のフレスコ画も素敵でした

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Регионален етнографски музей(地域民族学博物館)

1847年に建てられたトルコの富豪クユムジエフの屋敷を使用したもので

専門学博物館としてはブルガリアで2番めの規模だそうです

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入口を入ると

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広いレセプションルームがあります

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正面には19世紀の市場の様子が描かれた絵画が飾ってあります

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銀細工を作るための道具

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女性用のベルト飾り

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全身飾るとこんな感じになるそうです

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糸車

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アバと呼ばれるウール布地で作られた洋服

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上の洋服を装飾する紐を作る機械

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陶器類

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鉄器類

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チーズを作る道具

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バラの香料を蒸留する道具(左側)と蜂蜜をとる道具(右側)

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風車につけられる粉ひき機

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2Fのホール 

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伝統的な民族衣装

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19世紀当時の衣装

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靴下類

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楽器類

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悪霊を追い出すお祭りの時の衣装

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ロドピ地方の家の部屋を再現したもの

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クユムジエフ家の客間

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コプリフシティツァ地方の家を再現したもの

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建物の外には19世紀の衣装の顔出しパネルもありました

Старинен Пловдив

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Хисар капия(ヒサル・カビヤ) 要塞門

紀元前4世紀にマケドニアのフィリッポ2世によって建てられた門

ローマ、オスマン時代に破壊、修復され現在の門は11~13世紀の頃のものだそうです

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前回ご紹介した地域民族博物館と聖コンスタンティンとヘレナ教会の間にあります

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門を抜けた所にあるИсторически музей(歴史博物館)

1848年に富豪のトルコ人によって建てられた屋敷を使用しています

建物を手がけた大工「ゲオルギ」の名を取りゲオルギアディ・ハウスと呼ばれているそうです

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ローマの浴場の跡

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細い石畳の道を通って旧市街の中をしばらく歩きました

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1833年に建てられたラマルティーヌハウス

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RITORA House

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 Античен театър

2世紀トラヤヌス帝(98~117年)時代に建てられたローマ劇場

6つの丘のひとつタクシム丘と

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ジャンバス丘の間の谷間に造られています

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元々は客席は28列あったそうですが現在残っているのは20列です

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収容力は5000人から7000人だったと言われています

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俳優達の控室もあった2階建てのSkene

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劇場にいた子猫ちゃん

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旧市街をぐるぐる回って生神女聖堂に戻ってきました

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壁一面に描かれた壁画

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アレキサンダー1世通りにあるアイスクリーム屋さんでピスタチオとヨーグルト味のアイスを食べました

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ジャマヤ広場の前の公園付近にもたくさんの猫ちゃんがいました

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お昼は「PULDIN」というお店で頂きました

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修道院をレストランにしたお店です 中庭には井戸もありました

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入口の壁に描かれた絵

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入口を入ってすぐのホールでは結婚式の準備をしていました

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食事をした部屋はこんな感じです

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お店の中にもローマ時代の遺跡がありました

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パン

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タラトールという冷製のヨーグルトスープ

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メイン料理はひき肉とジャガイモのムサカ ヨーグルト添え

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デザートはフルーツ(バナナ、リンゴ、キウイ、オレンジ)

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お店に飾ってあった野菜のピクルス

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Казанлък

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昼食後、バスの待っている場所まで旧市街を抜けて行きました

写真は1832年に建てられたСвета Неделя(聖なる日曜日教会)

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バスが待っていた所にもローマの遺跡がありました

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レリーフも綺麗に残っていました

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プロヴィディフの街を出て北へ向かいました

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Казанлък(カザンラク)まで124kmの道程です

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ひまわり畑の隣にはソーラーパネルが平然と並んでいました

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ラベンダー畑もありました

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1時間半くらいでカザンラクに到着しました

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カザンラクはブルガリアのほぼ中央に位置する都市でバラの谷の東寄りにありバラ産業で有名です

6月の第1日曜日には収穫を祝うバラ祭りが行われています(写真はバラ祭りの会場になる広場)

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カザンラクの町でもうひとつ有名なのが1979年に世界遺産に登録されたトラキア人の墳墓です

この階段を登ると

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こんな建物が見えてきます

1944年防空壕を掘っている時に発見された古代東ヨーロッパ周辺に住んでいたトラキア人のお墓です

紀元前4世紀から3世紀のオリジナルの墓を保護する為の建物に囲まれていてます

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オリジナルの建物はこんな感じです

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狭い回廊と丸い埋葬室とで構成されています

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発見された当時の入口

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オリジナルは非公開ですが隣に忠実に再現されたレプリカが造られています

中に一度に入れるのは5人までです

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回廊はとっても狭いです

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墓にはヘレニズム時代初期の最高傑作と言われる壁画が描かれています

回廊に描かれている対決する2つの軍隊

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埋葬された王の生前を描いたものだと言われています

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埋葬室のドーム部分には果物を盛ったテーブルの前に座っている夫婦と贈り物を持ってくる使用人が描かれています

夫婦はヘレニズム時代に英雄のシンボルとされた月桂冠を被っているそうです

お互いの手首をつかんでいるのは告別の身振りをしているのだそうです

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馬の描き方が素晴らしいということでも有名だそうです

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中央部分には馬車も描かれています

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内部で見つかった副葬品

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 古代に盗掘にあったと考古学者は考えているそうです

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次に向かったのは1907年設立のバラ研究所の建物を利用しているバラ博物館

バラやローズオイルを生産する為の資料や農具

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ローズオイルを保管、輸送するための容器が展示されています

1947年まで使われていた容器からはバラの香りが漂っていました

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1912年に開設された最初のローズオイル研究室が再現されていました

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ブルガリア産のローズオイルは品質も良くフランスの香水メーカーでも大人気だそうです 

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バラの女王の写真が飾られている部屋もありました

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バラの季節は終わっていましたが少しだけ花が残っていました 

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敷地にはラベンダーも植えられていていい香りがしていました

作業をしている方がラベンダーを摘んでプレゼントしてくれました

Шипченски проход

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バラ博物館を見学後、5号線(E85号線)を北へ向かいました

畑の中でトラキア人の墳墓をいくつか見かけました

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オストルシャ墳墓 紀元前4世紀半ばのものだそうです

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1877年から1878年までの露土戦争の激戦の舞台となったシプカ村にあるシプカ僧院

戦争で戦士したロシア兵を慰霊するために建てられたのだそうです

この戦いで勝利したことによりブルガリアはオスマン・トルコから独立したのだそうです

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バルカン山脈を越えます

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Шипченски проход(シプカ峠)で休憩

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シプカ峠のヨーグルトはブルガリアで一番美味しいと言われています

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水牛のヨーグルトに蜂蜜をかけてもらって食べました

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シプカ峠の頂上にある自由の記念碑

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トリミングしてみました

ブルガリアの象徴である青銅製のライオンが辛うじてわかるかな・・・

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深い森の中を進みました

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クネクネの道を下って

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少し開けた場所に出ました

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その後またクネクネ道を進んで

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Габрово(カブロヴォ)という街を通りました

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ブルガリアで最も長い街だそうでヤントラ川に沿って長さ25kmにわたって続いているそうです

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街で売っていたスイカ0.37レヴァ、黄色いメロン1レフ(レヴァ)と書いてありました(1レフ=57円くらいでした) 

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ヒマワリ畑や

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牧草地を抜けて

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カザンラクから100kmこの日の宿泊地Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)のホテルインターホテルに到着しました

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ロビーはこんな感じです

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お部屋はこんな感じです

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夕食は市内のレストランへ出かけました

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ヴェリコ・タルノヴォは大関 琴欧洲の出身地です

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Хъшове」といお店で夕食を頂きました

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サラダ(パプリカ、キュウリ、トマト、チーズ)

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メインはチキンのカヴァルマ

カヴァルマはブルガリアの代表的な料理で肉と野菜類をトマト味で煮込んだ土鍋料理です

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この日は母の誕生日だったので花火付きのバースデーケーキが出ました

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コーヒークリームのケーキでした

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本来のデザートのプリン

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ホテルの前にはヤントラ川が流れています

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対岸ではコンサートが行われていました 夜23時過ぎまで続いていました

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Царевец

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お部屋から見えたこのモニュメントが気になって朝食前にお散歩に行きました

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ヤントラ川を渡ります

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アセン王のモニュメント 

第二次ブルガリア帝国(1187年から1393年)の王朝を称えるもので寄付金で造られたものだそうです

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4人の王はイヴァン・アセン1世(在位1187~1196)ペタル4世(在位1185~1197)

カロヤン(在位1197~1207)イヴァン・アセン2世(在位1218~1241)だそうです 

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 12世紀後半のブルガリアには重税が課せられ、住民の不満が高まっていました

アセンとペタルの兄弟が反乱を組織し、1185年ヴェリコ・タルノヴォでブルガリアの独立を宣言しました

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カロヤンはイヴァンとペタルの弟でブルガリア皇帝の権力と帝国の地位を向上させました 

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イヴァン・アセン2世は帝国の全盛期を築き上げた王だそうです

(4人の王の写真は朝食後にもう一度訪れた時のものです どれがどの王かはわかりませんでした)

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朝食はとても綺麗に並べられていました

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ブルガリアの朝食には必ずキュウリとトマトが出ていました

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フレンチトースト、目玉焼き、ソーセージ

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スイカとメロン

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バスに乗って5分Царевец(ツァレヴェツ)に向かいました

ツァレヴェツは第二次ブルガリア時代に要塞があった所です

ツアレヴェツの丘には紀元前3000年頃から人間が住んでいた跡があるそうです

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ライオンの像がある所がかつてのメインエントランスだそうです

(写真は行きと帰りに撮ったものが入り交じっています)

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要塞を復元した絵(右側の丘はツァレヴェツ、左側の丘はトラペジッツア)

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トラペジッツアの丘は貴族の屋敷があった所だそうで城壁が復元されていました

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エントランス付近から見た街

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第二の門、第三の門と城壁、総主教教会が見えます 

城壁の長さは1100m、高さは10m以上あるそうです

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第三の門をくぐった所で

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城の歴史を各国の言葉で説明してくれる人形達がいました(日本語もありました)

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 要塞には宮殿や23の教会、4つの修道院、470以上の民家、旅館、貴族の豪邸があったそうです

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真ん中に見える馬は作り物で当時の衣装を着て跨って記念撮影ができるそうです

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壁に貼ってあるのは宮殿の復元図や同じ造りで造られたブルガリアにある建物の写真です

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少し上った所で振り返ってみました この辺りは綺麗に復元されていました

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この辺りは住居跡だそうです

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復元された城壁に沿って歩きました

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上3枚は歩いてきた道を振り返って撮った写真です

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所々にあるライトは「音と光」というショーに使われるものです

数百個の有色照明、音楽、鐘の音、レーザー光線などを駆使しブルガリア史の代表的な場面を表現するそうです

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ライオンの像から20分歩いた頃、要塞の最北部に到着しました

「処刑の岩」と呼ばれるヤントラ川に突き出た岩があります

11世紀から14世紀の間、反逆罪を犯した死刑囚の投身刑が実行されてきたそうです

16世紀にはこの場所に修道院が建立されたそうです

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こんな感じの修道院だったそうです 修道院の後ろにあるのが「処刑の岩」です

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現在は床が残っているだけでした

崖の端に行って下を覗いてみると

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1185年にアセンとペタルが反乱を起こしたというСвети Димитър Солунски(聖ディミタル教会)が見えました

現在の教会は1985年に修復されたものだそうです

Самоводска чаршия

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前回のツァレヴェツの観光の続きです

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要塞の中心部分にある王宮へ向かいます

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上の写真の建物の土台部分にローマ遺跡から持ってきた大理石の碑が使用されています

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門を入ると

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宮殿があった場所に出ます 

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要塞の一番高い部分には総主教教会があります

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1981年に復元されたそうです

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元々はこんな感じだったそうです

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教会付近から下を見るとヤントラ川や

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要塞の入口が小さく見えました

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門から上ってきた道まで降りて要塞を後にします

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復元された投石機もありました

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旧市街にある生神女誕生大聖堂(1844年建立1913年再興)

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下から見た城壁と王宮

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上とは反対側の城壁と総主教教会

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要塞から車で5分の旧市街にあるСамоводска чаршия(職人街通り)

昔ながらの職人街で狭い通りの両側に銅製品、陶器、木彫り、イコン、衣類などのお店が並んでいます

工房も併設されていて職人さんの製作の過程も見ることができます

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銅製品のお店

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お店の中ではおじさんが銅のカップを作っていました

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こちらのお店では魔除けにもなるこんなものが作られていました

こんなに大きくはないですが1つ記念に買って帰りました

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実際に彫る所も見学できます

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ブルガリアで最後のお昼ごはんはこの通りにある

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хан хаджи николи(Hadji Nikoli Inn)でいただきました

1858年に建てられた宿の建物を改装して展示ホール、アートギャラリー、レストラン、カフェ、ワインバーに使用しています

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オブジェのように並んだ子ツバメ 親鳥が飛んでくると一斉に羽ばたきしていました

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クリームスープ

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メインはメルルーサのフライ

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デザートはナッツとキャラメルのアイスパルフェ

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帰るときには子ツバメ達はこちらに集まっていました

Ивановски скални църкви

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ヴェリコ・タルノヴォを出発してE85線を北へ向かいます

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目的地まで82kmの旅です

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1時間くらいでこんな景色が見えてきました

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1979年に世界遺産に登録されたイヴァノヴォの岩窟教会群を訪れました

この地方の洞窟群には後のブルガリア正教会総主教ヨアキムが居を定めた1320年代以降17世紀まで

修道士達が住むようになり、僧房、教会群、礼拝堂など40もの教会群を岩から切り出したそうです

その周りには300ほどの宗教用施設用地があったそうですが現在はほとんど残っていないそうです

地図の右下にある教会群の1つ聖母教会へ向かいました

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暑い日だったので日陰のある階段の道を登りました

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岩の割れ目が入口です

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聖母教会には14世紀中旬に描かれたフレスコ画が残っています(右側の窓は保護の為に作られたそうです)

内部は3つの部屋にわかれています(写真は1つ目の部屋)

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2つ目の部屋

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天井のフレスコ画

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「平和の女使者」

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「キリストの変容」

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3つめの部屋 奥にあるベランダが昔の入口だったそうです

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ベランダから下を覗いてみました

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3つ目の部屋の天井のフレスコ画

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「バプテスマの聖ヨハネの断頭」

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教会の創立者イヴァン・アレクサンドル王の肖像

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帰りは違う道を通って下に降りました

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途中で修道士が掘った洞窟の跡をいくつか見かけました

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この辺りは自然環境保護区域になっていて地元の人の憩いの場所になっているそうです

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 日陰が無いので暑かったですが眺めはとても良かったです

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岩にある穴は宗教施設の跡だそうです

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真ん中付近の緑の屋根が聖母教会です


Sinaia

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イヴァノヴォを出発して国境の町ルセへ向かいました

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30分くらいでルセの街に着きました ルセはブルガリア第5の都市です

写真は19世紀オスマン朝の圧政に対して反旗を翻して戦ったブルガリアの英雄ステファン・カラジャを祀った廟

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ブルガリアのガイドさんとお別れしたホテルの駐車場でこの車を見ました

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ドナウ川がブルガリアとルーマニアの国境です

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全長2223mのルセ・ジョルジュ友好記念橋を渡ります(写真はWikipediaよりお借りしました)

橋を渡り終えた所に税関がありバスのドライバーさんが代表で入国の手続きをしてきてくれました

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ルーマニア 首都はブカレスト

ルーマニア人は中欧では唯一ラテン民族の血を引いています

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国旗の青は空、黄は鉱物・穀物、赤は国民の勇気・独立闘争を表しているそうです

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ルーマニア側のドナウ川では泳いでいる人をたくさん見かけました

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E70号線を一路首都ブカレストへ向かいます

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ルーマニア平原を進みます

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1時間くらいでブカレストに着きました

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市内を通りぬけ北上します(写真はバネッサ国内空港)

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すぐにアンリ・コアンダ国際空港も見えてきました

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E60号線を北上します 道の脇では畑で作った野菜や

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 民芸品などが売られていました

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駐車して買っている車をたくさん見ました

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かつてはヨーロッパ最大の石油産出地で現在も石油生産と精製が行われているプロイェシュティという街を通りました

精製された石油はパイプラインでブカレスト、コンスタンツァ、ジョルジュに輸送されているそうです

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石油採掘している機械も見かけました

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ブカレストから2時間弱でハイキングとウインタースポーツで人気のあるシナヤの街に到着しました

反対車線はブカレストへ帰る車で渋滞していました

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この日の宿泊はパレスホテルでした

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ロビーはこんな感じでした

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エレベーターホール

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お部屋の前の廊下

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お部屋はこんな感じでした

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窓からはDimitrie Ghicaという公園が見えました

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20時前でしたがたくさんの人がお散歩していました

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レストランへ続く廊下

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夕食はホテルのレストランで頂きました ルーマニアのワインは美味しいというので赤ワインを飲みました

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前菜はチキンサラダ

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メインはサルマーレ(挽き肉と刻みタマネギをザワークラウトに似た漬物で巻きじっくりと煮込んだ物)

付け合せはママリガ(粗挽きにしたトウモロコシをお粥のように煮て牛乳とバターを混ぜ込んだ物)

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デザートは果物(オレンジ、リンゴ、バナナ)

豊受大神宮

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ルーマニア旅行の途中ですが、ちょっと中断して20日から22日までの旅行のお話を・・・

20日に小倉から新幹線で一路名古屋へ

途中、岡山を過ぎて少しした頃、突然電気が消えてトンネルの中で停車しました

地震の影響で停電したのですが7分ほどですぐに出発しました

3時間ほどで名古屋到着、母のお友達と合流してセントラルタワーズで昼食

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名古屋らしいものをと山本屋総本家で名古屋コーチンつくね味噌煮込みうどんを頂きました

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デザートはコメダ珈琲店でシロノワールを

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名古屋での宿泊は名古屋マリオットアソシアホテル

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お部屋からの景色はこんな感じでした

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夕食は栄まで出かけて

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水曜日で本店はお休みだったので、あつた蓬莱軒松坂屋店でひつまぶしを頂きました

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セントラルタワーズのエレベーターホールのクリスマスツリー

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21日は朝9時頃名古屋を出発して伊勢市駅へ 1時間半くらいで到着

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10月6日に式年遷宮が終わった伊勢神宮外宮の豊受大神宮へ

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外宮参宮を5分ほど歩くと表参道が見えてきました

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表参道火除橋を渡ると神域に入ります 外宮ではすべて左側通行になっています

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第一鳥居へ

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鳥居前で人垣ができていると思ったら伊勢神宮祭主池田厚子様が参宮を終えお帰りになるところでした

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第二鳥居 皇族はここで御車から降りられるそうです

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入母屋造りの神楽殿

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九丈殿の前の大庭(おおば)にある外宮所管社の四至神(みやのめぐりのかみ)

一段高い石段の上に一本の榊が立っているのが四至神だそうです

四至神とは神域の四方の境界を守護する神様だそうです

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古御正宮と新御正宮、二つの御正宮が見えてきました

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古御正宮の前に人垣ができていたので近づいてみると

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河原祓所(三ツ石)

昔の祓所で今も遷宮の河原大祓はここで行われるそうです

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古御正宮の遥拝所

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この巨木にも沢山の人が手をかざしていました

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新御正宮

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衣食住、産業の神 豊受大御神(とようけおおみかみ)がお祀りされています

雄略天皇の御代、天照大御神のお告げにより丹波の国からお迎えしたそうです

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遥拝所(撮影は鳥居をくぐるまで可能です)

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高倉山の天岩戸の入口の岩を運んだと言われている亀石を渡り

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別宮へ向かいました

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98段の石段を登った檜小山の上に

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神明造の多賀宮(たかのみや)があります 豊受大御神の荒魂をお祀りする別宮(べつぐう)です

山の頂きにあるため古くから高宮(たかのみや)と呼ばれていたそうです

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古宮は解体が始まっていました

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土宮(つちのみや) 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀る別宮です

古くから山田原(やまだのはら)の鎮守として宮城(きゅういき)の地主の神としてお祀りされているそうです

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風宮(かぜのみや) 風の神をお祀りする別宮です 

鎌倉時代の元寇の時、神風を吹かせて日本をお守りになった神として知られているそうです

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清盛楠 平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木だそうです

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明治22年に造られた勾玉池の上には舞楽の舞台が常設されています

左にある建物は2012年4月にオープンしたせんぐう館

皇大神宮

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天孫降臨の際の案内役になったことから道開きの神と知られる猿田彦大神と

その子孫で天照大神の内宮鎮座に貢献した大田命を祀る猿田彦神社をお参りしました

外宮を出てお昼ごはんを食べるお店を探している時に観光案内をしている方に出会い、ついでだからと内宮まで車で送ってもらいました

内宮にお参りするなら猿田彦神社に行って「今から伊勢神宮に行きます」と報告してからにしなさいと言われ参拝することにしました

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おはらい町を通って内宮に向かいました(写真は重要文化財 神宮祭主職舎本館)

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人がたくさん通り過ぎる道の真中にこの猫ちゃんが座ってました

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お伊勢さん特有の切妻・入り母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねています

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赤福本店

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お昼はおかげ横丁にあるふくすけで頂きました

観光案内の方の話だと伊勢うどんの麺はみなみ製麺か山口製麺のものを使っていて、味の違いはタレなのだそうです

食べるのなら人がたくさん並んでるお店のほうが新しい麺を使っているから良いと言うことでした

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天ぷらのせ伊勢うどん

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めかぶのせ伊勢うどん

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細めの麺にめかぶ、あらめときざみ昆布、わかめ、あおさを添えた志摩うどん

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おはらい通りは宇治橋まで五十鈴川沿いに800m続いています

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 宇治橋鳥居(高さ7.44m) 

外側の鳥居は外宮旧御正殿の棟持柱が内側の鳥居は内宮旧御正殿の棟持柱が使われているそうです

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橋の長さは101.8m 幅8.4mだそうです

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木除杭(きよけぐい) 

川の増水などでの流木が橋桁に衝突し損傷しないように数本の杭が立てられています

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宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられているそうです 

別名 御裳濯橋(みもすそばし) 一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされているそうです

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神苑を通り

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火除橋を渡って第一鳥居へ向かいます

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五十鈴川御手洗場

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参拝をする前に心身を清める場所です

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第二鳥居

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神楽殿

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 内宮の四至神(みやのめぐりのかみ) 五丈殿東方に鎮座しています

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神杉が立ち並ぶ参道を通って

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新御正宮 皇室のご祖先の天照大神をお祭りしています

石段より先は撮影禁止です

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出口は2カ所あり右手から出ました ちょうど私達が出た15時頃にこちらの出口は閉められました

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旧御正宮

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旧御正宮に上る階段

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旧御正宮の周りをグルっとまわりました

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新御正宮(右)と旧御正宮(左)の間

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荒祭宮(あらまつりのみや)

天照大神の荒御魂(あらみたま)を祀る別宮です こちらの古宮は既に壊されていました

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別宮へ向かう道 左に見えるのは御稲御倉(みしねのみくら)

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籾だね石 

200年ほど前に近在の楠部(くすべ)の人々が神宮に献納しようと

五十鈴川の川上から長い年月をかけて運んだものだそうです

その間に飢饉があり種モミまで食べ尽くしてしまったという秘話が伝わっています

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汀緖ばさら邸

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伊勢神宮を見学後、五十鈴川駅から近鉄に乗って宿泊場所まで移動です

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終点の賢島まで乗ります

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40分くらいで到着

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この日の宿泊は汀緖ばさら邸(写真はフロント)

賢島の駅まで旅館からお迎えの車が来てくれます

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ロビー

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お部屋に案内されるのを待つ間に伊勢茶と伊勢神宮の玉砂利をイメージして作られたクッキーを頂きました

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お部屋は離れの月の冠(写真は次の日の朝に写しました)

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琉球畳のリビング部分

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1階の寝室

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こんな階段を上って2階へ

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2階の寝室

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お風呂も2階にあります

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漠の庭と言う所を通って本館へ行きます

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夕食は本館の食事処で頂きました(写真はお夜食でおにぎり、ふかし芋、ゆで卵、みかんとありました)

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個室でのお食事です 食前酒は梅酒、先付は舞茸、菊花のおひたし

前菜はゆばとろ(手前右)、栗甘露煮、菊花かぶら、とり松風(手前左)柿としめじの白和え(右真ん中)

イカわさびあえ(左真ん中)牡蠣といかげその味噌がけ(奥)

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お吸い物は松茸土瓶蒸し

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お刺身は伊勢海老、アカムツ、イカ、ミナミマグロ、ワラサ、右の手前のお皿はコチ、奥のお皿はニシ貝

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菊芋のあんかけ

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進肴は旬魚の葛煮仕立て

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焼物は霜降り和牛の岩盤焼き

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蛸飯茶漬けと大女将手作りお漬物

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酢物はくらげとサンマの酢味噌掛け デザートは梨のゼリー

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宿泊客が利用できる時の家aoi

お部屋で利用できるDVDのソフトや雑誌などが置いてあります

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ちょっとしたおつまみや珈琲、紅茶、ワインなども置いてありました

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夜は暗くてわかりませんでしたがお風呂からは英虞湾が見えました

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お部屋のテラスからもお風呂と同じ景色が見えます

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テラスにはサンルームもありました

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朝食は和食か洋食を選べます こちらは和食

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こちらは洋食

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和食の鯵の干物、だし巻き卵、伊勢海老の味噌汁

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洋食のオムレツ、ハム、ソーセージ

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洋食のパン

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洋食のスープとデザート

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旅館には3つの貸し切り風呂があります その1つ「月の宮」

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「天の鏡」

もう一つ「くゆりのびり」がありますがお部屋と同じシルキーバスだったので入りませんでした

チェックアウトの11時までゆっくり過ごし鳥羽へ向かいました

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お昼ごはんは浜辺屋で海鮮ちらし寿司を頂きました

その後、近鉄で名古屋に戻りました

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新幹線に乗る前にタカシマヤ51Fにあるパノラマサロンのカフェ・ド・シエルでこんな景色を見ながらお茶しました

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地下1F洋菓子売場のケーキを食べることができます

頂いたのは「レニエ」の中津川モンブラン、「デメル」のキルシュトルテ、「グラマシー・ニューヨーク」のショートケーキ

コーヒー、アイスコーヒーもおかわり自由です


 
おまけ

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賢島駅のホームで見つけました

Mănăstirea Sinaia

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パレスホテルの裏にあるDimitrie Ghicaという公園に朝の散歩に出かけました

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ホテルのお庭みたいにサンルームからすぐに出ることができます

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鳥の声を聞きながらこんな並木道を歩きました

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野生のリスも出てきました

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公園の中にはホテルCaraimanもあります

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公園を抜けるとシナイアの街のメインストリート カルロ1世通りにでます

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猫ちゃんもお散歩してました

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ロータリーになっている所まで歩いて

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Octavian Goga通りを通ってホテルへ戻りました

18世紀にブカレストの王侯貴族達の別荘地として繁栄したので宮殿風の建物があちらこちらに見受けられました

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パレスホテルの真向かいにあるホテルTanţi

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Centrul Internațional de Conferințe Casino(国際会議場とカジノ)

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Cimitirul Eroilor(英雄墓地)

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1時間位散歩してホテルに戻って朝食を食べました ハム、サラミ、サラダなど

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チーズ、デニッシュなど

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パン、クッキーなど

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温かいもの

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フルーツサラダ

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この日の観光はバスで2分くらいの所から始まりました

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この辺りの別荘も小さなお城みたいでした

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1695年ワラキア公国の王子ミハイル・カンタクジーノによって設立されたシナイア僧院

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こちらは1846年ドイツから招かれてルーマニアの王になったカルロ1世が建立した大教会

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こんな風に装飾された十字架もありました

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教会の周りにはヒマワリや

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薔薇が植えられていました

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蜜蝋で作られた蝋燭を収める箱で願い事別に分かれていました

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壁に描かれた天使

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聖人

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 裏口のドアの上に描かれた聖母子

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博物館

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この建物の裏に古い教会があります(写真を撮ったはずなのに見当たりませんでした)

Castelul Peleș

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シナイア僧院から坂を登って

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森の中の坂道を下って行くと

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ドイツ風の建物が見えてきます

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かつては王侯貴族の別荘だった建物を現在はホテルとして使用しています

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部屋数25のホテルEconomatです

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ホテルの門をくぐり抜け

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ホテルのレストランを通り抜けると

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森の中にお城の尖塔が見えてきます

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 Castelul Peleș(ペレス城)です

ルーマニア王カロル1世の夏の離宮として1873年から1914年にかけて建てられたお城です

ルネッサンス、バロック、ロココの各様式を取り入れたドイツルネッサンス様式で建てられています

400人以上の工芸家、何千人もの労働者を使い、当時のお金で1億2千万ドルをかけて造ったそうです

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まずは中庭を見学しました

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壁にはルネッサンス風の壁画が描かれています

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部屋数は160室以上あるそうです 

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現在は博物館として使用され内部の見学はツアー形式で行われます

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 このお城はヨーロッパで初めてセントラルヒーティングが設置されたお城だそうです

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中庭を見学した後はお城が一番美しく見える場所に移動しました

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ペレシュ城はルーマニアで最も壮麗なお城だと言われています

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 石で造られた果物

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井戸

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お城を建てたカロル1世の像

カロル1世はこの城の完成後数ヶ月で亡くなったそうです

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お庭にある王妃エリザベタの像

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塔の高さは66mだそうです

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ペレシュ城から歩いて数分の所にあるCastelul Pelișor(ペリショール城)

1902年に建てられた皇太子フェルディナンドの居城で部屋数は99あるそうです

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 このお城の内部もツアー形式で見学ができます

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お城の前にある像の後ろで子犬が遊んでいました

Casa Vlad Dracul

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シナイアを出発してE60号線を北へ進みます

隣町Buşteni(ブシュテニ)も山岳リゾートとして有名な街です(写真は20世紀初頭に建てられた市庁舎)

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こちらも20世紀初頭に建てられた文化博物館

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途中ブラショフ行きの電車に出会いました

ルーマニアでは電車よりも自動車のほうが目的地に着くのが早いそうです

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ワインで有名なAzuga(アズガ)と言う街を通りスキーリゾートの街Predeal(プレデアル)へ

写真はプレデアルのBiserica Sfintii Imparati Constantin si Elena(コンスタンティンとヘレナ教会)

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その後、こんなヘアピンカーブを下りて

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30分くらいでBraşov(ブラショヴ)の街の郊外に着きました

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ブラショヴを通りぬけ北へ向かいます

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のどかな田園地帯を通り進みます

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ブラショヴから50km過ぎた頃Cetatea Rupea(ルペア要塞)が見えてきました

紀元前4世紀頃のダキア人の遺跡を元に14世紀にザクセン人が造った要塞だそうです

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ブラショヴから1時間40分くらいでSaschiz(サスキズ)と言う街を通りました

1999年に世界遺産に登録されたトランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群の中のひとつがこの街にあります

サスキズの要塞教会は14世紀にトランシルヴァニア・ザクセン人によって建てられた要塞だそうです

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シナイアから165km、Sighişoara(シギショアラ)の街に着きました

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 1999年に世界遺産に登録されたシギショアラ歴史地区に向かいます

シギショアラは1191年にトランシルヴァニア・ザクセン人によって築かれた都市だそうです

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Turnul Croitorilor(仕立て業者の塔)から城塞へ入ります

仕立て業者のギルドは14世紀にはシギショアラで最も富裕なギルドで

彼らが建てた塔はシギショアラで最も高い塔としてそびえ立っていたそうです

1676年の大火の際に塔内に保管されていた火薬が爆発したことで損壊し

現在の塔は1935年に再建されたものだそうです

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 建物の下に造られたトンネルを抜けると

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Piaţa Cetăţii(城塞都市広場)に出ます

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広場からはシギショアラのランドマークであるTurnul cu Ceas(時計塔)が見えました

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この日の昼食は時計塔の近くにあるCasa Vlad Dracul(ヴラド・ドラクルの家)で頂きました

ヴラド・ドラクル(ヴラド3世)はブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルとされている人物です

この邸宅は1431年から1435年にヴラド3世の父ヴラド2世が幽閉されていた場所で

ヴラド3世はその幽閉期間中に生まれたそうです

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こちらはレストランの1階

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私達は2階で食事をしました

階段を上ると壁にはシギショアラの街とヴラド3世の肖像画が描かれています

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ヴラド・ドラクルの像

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レストランの中はこんな感じです

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天井には昔の壁画が残っていました

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ドラクルとは竜の事でドラキュラとは竜の息子という意味だそうです

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ドラキュラの前菜という名前の料理 なすとトマトの煮込みでした

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メインはチキンソテー付け合せはマッシュドポテト

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デザートはパパナッシュ

カッテージチーズ、卵、小麦粉などを混ぜて揚げたドーナツ風のお菓子です

 

 今年もたくさんの方々にブログをご訪問いただきましてありがとうございました

1週間に1回アップするのがやっとで遅々として進みませんが来年もよろしくお願い致します

皆さま良いお年をお迎えくださいませ


Centrul istoric Sighișoara

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新年のご挨拶が遅くなりましたm(__)m

今年もゆるゆるの更新ですがよろしくお願いいたします

写真はガンジス川の朝日です

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昼食後シギショアラ歴史地区を散歩しました

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街のシンボル高さ64mのTurnul cu Ceas(時計塔)は自治権獲得の記念として14世紀半ばに建造されたそうです

1556年までは市議会の議事堂として使われていて現在の建物は1676年の大火の後に再建されたそうです

要塞を守る塔は元々14カ所あったそうですが現在は9つしか残っていないそうです

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17世紀に作られたからくり時計は現在も毎正時に時を知らせるそうです

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Casa Veneţiană(ベネチアンハウス)

17世紀初頭に建てられたもので窓の形にちなんでその名前がつけられたそうです

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Biserica Mănăstirii Dominicane(ドミニコ会修道院付属教会)

13世紀に建造されたドミニコ会修道院に付属していた教会

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1886年に修道院は取り壊され付属教会だけが残っています

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修道院の敷地の跡地に1886年から1888年の間に建てられた市庁舎

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1894年に建てられたBiserica romano-catolica sf. iosif(聖ヨセフのローマ・カトリック教会)

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内部はこんな感じでした 

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Turnul Cizmarilor(製靴職人の塔)

最初の塔は1521年頃建設されたもので、現在の物は1676年の大火後に再建されたそうです

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城壁に沿って歩くとTurnul Croitorilor(仕立て業者の塔)に出ました

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Piaţa Cetăţii(城塞都市広場)から

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山の上を目指します

左の建物は17世紀に建てられたCasa cu Cerb(鹿の家)

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175段の屋根付きの階段を登ります

屋根は冬場に礼拝や通学の為に丘に登る人の事を考慮してつけられたそうです

1642年に出来た当初は300段あり、1849年に現在の段数になったそうです

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Școala din deal

トランシルヴァニア最古の学校の1つだそうです 現在はドイツ語学校として使われています

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Biserica din Deal(山上教会) 正式名は聖ニコラウス教会

建設は1345年に始まり完成したのは1525年だそうです

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内部は撮影禁止でしたので写真をお借りしました

14世紀から15世紀の壁画や15世紀から16世紀の調度類が残っていました

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Turnul Frânghierilor(綱職人の塔)

13世紀に建造されたシギショアラで最古の部類に属する塔で現在は山上教会の共同墓地の管理人の住居だそうです

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上から見下ろしたシギショアラの街

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城壁

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ヴラド・ドラクル邸の前に戻るとドラキュラの扮装をした人がいました

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 路地の家に

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こんな可愛い風見がありました

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 シギショアラを去る前に街が見下ろせる高台に向かいました

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上から見ると城塞の様子がよくわかりました

Cerbul Carpatin

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シギショアラを後に同じ道を通ってブラショヴまで129kmの移動です

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シギショアラから20分くらいにあるVânătoriという町

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この町の建物の壁には住んでいる人の宗教やいつ建てられたかが書かれています

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こちらは1909年に建てられた家

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こちらは1923年に建てられた家

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ひまわり畑や

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羊の群れや

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牛を見ながら進みます

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1時間半くらいでBrașov(ブラショヴ)の街に着きました

写真は13世紀に建てられたBiserica Sfântul Bartolomeu(聖バーソロミュー教会)

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15世紀に完成した見張り塔Cetățuia de pe Strajă

17世紀以降は倉庫、兵舎、刑務所などに使用されたそうです

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この日の宿泊はAro Palace(アロパレス)

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ロビーはこんな感じです

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お部屋はこんな感じでした

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Strada Muresenilorを通って

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Piața Sfatului(スファトゥルイ広場)へ

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夕食は広場にあるCerbul Carpatin(右のオレンジの建物)で頂きました

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入口を入ると角笛で出迎えてくれました 

角笛の演奏をどうぞ *注意*音が出ます

演奏の後、パンと塩を持った女性が現れ、パンに塩をつけて食べるように勧められました

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地下にあるワイン倉に移動し

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チーズをおつまみに

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音楽を聞きながらルーマニア産の4種類のワインを試飲しました

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1階に移動して歌とダンスを見ながらの食事です

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赤と白のワインが飲み放題でした

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マッシュルームとポテトのクリームスープ

こんな感じでショーが始まりました *注意*音が出ます

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こんなアクロバティックな事もしてました

ダンスの後は歌が始まりました *注意*音が出ます

*注意*音が出ます

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衣装も可愛らしかったです

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メイン料理は塩漬けのカワカマスと温野菜(人参、ブロッコリー、カリフラワー)

*注意*音が出ます

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歌手の方も衣装を着替えてもう1曲歌ってくれました

*注意*音が出ます

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デザートはクレープでした

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食事を終えると辺りは真っ暗になってました

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広場のシンボル 高さ60mの塔をもつ15世紀に建てられた旧市庁舎

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Cetățuia de pe Strajăもライトアップされてました

朝のお散歩ブラショヴ編

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朝起きて外を見るとこんな景色が見えました

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昨夜と同じStrada Muresenilorを通ってお散歩に出かけました

鐘楼がある建物はBiserica Romano-Catolică Sf. Petru(ローマカトリック大聖堂)

1776年から1822年にかけて建てられたバロック様式の建物です

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Strada Sfântul Ioan

鐘楼がある建物は1725年に建てれれたBiserica Sfântul Ioan(聖フランシスコ修道院)

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ブラショヴの都市の建設にはドイツから植民したトランシルヴァニア・ザクセン人が深く関わっていたそうです

 歴史上ではドイツ語名Kronstadt(クローンシュタット)の方が有名だそうです

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Strada Michael Weiss

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朝7時頃でしたが車も人もあまり通っていませんでした

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町の中心のPiața Sfatului(スファルトゥルイ広場)にある旧市庁舎

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Banca Națională a României(ルーマニア国立銀行)

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1896年に建てられたBiserica Adormirea Maicii Domnului(ルーマニア正教会の大聖堂)

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広場にはレンタサイクルの他にもレンタカートがありました

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スファトゥルイ広場から見たトランシルヴァニア最大の後期ゴシック様式で建てられた黒の教会(1477年建立)

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1689年オスマン帝国との戦いでハプスブルク帝国軍が侵入してきた際の大火の煙で

外壁が黒くなったことから黒の教会という名前がつけられたそうです 鐘楼の高さは65.5mだそうです

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 中には10時にならないと入れないみたいでした

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周りをグルッと回って

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細い路地を通って

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Strada Poarta Scheiに抜けました

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スケイ門通りを進みます

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横の路地を見ると旧市庁舎の塔が見えました

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標高960mのトゥンパ山にはケーブルカーで登れるそうです

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 Strada Diaconu Coresiを通り

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Strada Postăvaruluiを通りました

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住宅街なのかあまり人気がありませんでした

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日があたっている部分と影になっている部分で建物の感じが全然違っていました

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 長い通りを抜けて

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 Bulevardul Eroilor(エロイロール大通り)へ 建物はブラショヴ州議会

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Strada Republicii(レプブリチ通り)は歩行者専用道でカフェやレストランが並んでいます

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ブラショヴ市役所

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中央分離帯にはこんな花壇がありました

Brașov

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9時頃、ホテルを出発してブラショヴの市内観光へ向かいました

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旧市街のȘchei(シュケイ)地区へ向かいます

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ドイツ移民がブラショヴに来た時に元々住んでいたルーマニア人が移住させられたのがシュケイ地区だそうです

この地区の人達は特別な許可がない限りは城壁の中に立ち入ることも禁止されていたそうです

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Piața Unirii(統一広場)にあるCrucea lui Ilie Birt

18世紀、占領下のブラショブで密輸業者や金貸しをしながら圧政に立ち向かった英雄Ilie Birtを祀った祠

ルーマニア語での教育が初めて行われた学校を建てる資金も提供したそうです

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Statuia Soldatului Necunoscut 第一次世界大戦の無名戦士の記念碑

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Biserica Sfântul Nicolae(聖ニコラス教会) 14世紀に建てられたルーマニア正教会の教会

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 十字架

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教会の壁に描かれた壁画

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入口の扉

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内部は撮影禁止でしたので写真をお借りしました

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教会の敷地内にはIlie Birtが資金を提供した学校があります(1760年建立)

現在はルーマニア語で印刷された本や印刷機が展示されているそうです

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お墓の入口に描かれた絵は教会内の絵と同じような感じでした

シュケイ地区を後にブラショヴの中心街へ戻ります

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1827年に造られた新古典主義建築のPoarta Șchei(シュケイ門)

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1559年に造られた古典主義建築のPoarta Ecaterinei(キャサリンの門)

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Strade Poarta Șchei(シュケイ門通り) この辺りはユダヤ人地区だったそうです

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1901年に建てられたネオゴシック様式のSinagoga(シナゴーク) ユダヤ教の教会

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Strada Sforii(ロープストリート)

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一番狭い所は幅111cm、一番広い所は幅135cmの道路

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7世紀頃の文書にもこの道路の事が書かれているそうです

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長さは83mだそうです

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Strade Cerbuluiに出ます

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通りを進んでいくと

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ロータリーのある所に出ました

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トゥンパ山を背にして歩いて行くと

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 Piaţa Sfatului(スファトゥルイ広場)に出ました

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1420年に建てられた旧市庁舎

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20世紀初めに取り壊され近代的なオフィスビルになる予定でしたが住民に反対され保存されることになったそうです

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町の防御の為に1494年に建てられたホワイト・タワー(後ろにある白い四角形の建物)

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後期ゴシック様式のBiserica Neagră(黒の教会)1477年建立

朝のお散歩の時にはまだ入れませんでしたがこの時は10時を過ぎていたので中に入ってみました

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中は撮影禁止でしたので写真をお借りしました

Castelul Bran

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ブラショヴ市内の観光後73号線を南西へ向かいます 目的地までは30kmです

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こんな景色を見ながら進みました

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ブラショヴから30分くらいでCastelul Bran(ブラン城)が見えてきました

ブラン城はブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」に登場するドラキュラ城のモデルとされています

ドラキュラ公ヴラド3世は実際にはこの城には住んだことはないそうです

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この場所には1211年から1225年の間にドイツ騎士団によって最初の要塞が造られたそうです

現在はルーマニア国王フェルディナンド1世の末裔が所有していて博物館になっています

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この坂を登って行くと

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お城が見えてきました

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この階段を登って中に入ります

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入口の灯りとノッカー

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城の内部はフェルディナンド1世の王妃マリアによって改修されたそうです

この部屋はマリア王妃の寝室だったそうです

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扉の装飾も美しかったです

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この部屋の壁を修理している時に

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秘密の通路が見つかったそうです

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秘密の通路は1階から3階へ通じています

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秘密の通路を出るとこの部屋に出ます

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中にある家具は王家の所有品だそうです

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3階から見た中庭

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橋の近くにある教会はマリア王妃のお気に入りだったそうです

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 暖炉

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階段の周りには

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 こんな感じの小さな部屋がありました

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壁には王家の人達の写真も飾ってありました

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内部にある家具は14世紀と19世紀のものだそうです

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寝室

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暖炉も部屋ごとに形が違っていました

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ダイニングルームかな・・・

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マリア王妃の衣装

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2階から見た中庭

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中庭から見あげるとこんな感じです

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