昼食後に向かったのは宮殿広場
サンクトペテルブルクの中央広場でロシアの歴史的事件である血の日曜日事件(1905年)
十月革命(1917年)スターリン哀悼大集会(1953年)などもここで起こったそうです
真ん中にあるのは1834年に完成したアレクサンドルの円柱(高さ47.5m)
ナポレオン率いるフランス軍との戦争(1812年)の勝利を記念して
August Ricard de Montferrandの設計で建設されました
アレクサンドル1世をイメージした十字架を持つ天使の像が掲げられています
広場の南東側にはロシア帝国軍参謀本部ビルが1827年に建てられました
広場の北西側にはГосударственный Эрмитаж(エルミタージュ美術館)があります
エルミタージュ美術館は冬宮、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ
エルミタージュ劇場の5つの建物が一体となって構成されています
エルミタージュ美術館の中心である冬宮は1754年~1762年にかけて
イタリアの建築家Francesco Bartolomeo Rastrelliの設計によって建てられました
宮殿は緑と白の石材を用いてロココ建築で作られ長さ約200m、奥行き約160m、高さ22m
部屋数1057、扉の数1786、窓の数1945だそうです
建設当時の外壁は薄い黄色でしたが1850年代には薄いピンク、1913年には赤茶色
第二次世界大戦中は空襲の目標となるのを避けるため灰色になり
1947年、戦争からの開放感を象徴するために現在の薄い緑色になったそうです
1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったことがコレクションの始まりでした
美術館の起源はエカチェリーナ2世が1775年に建てた自身専用の美術展示室で
一般に公開はされていませんでしたが、1863年に市民も観覧が可能になったそうです
美術館の展示ホールは400室以上、総面積5万7475㎡、収蔵倉庫面積4万5000㎡だそうです
ネヴァ川側の正面玄関ではなく宮殿広場側のグループ入り口から入場しました
あまり人を見かけなかったのでゆっくり見学が出来ると思っていましたが
正面玄関側に回るとたくさんの人がいました
人の流れについて大使の階段(ヨルダン階段)を上ります
皇帝に謁見に来た外国の大使達が上った大理石の階段で、吹き抜けの高さは22mだそうです
ロシア・バロック様式で作られていて、花崗岩の円柱、鏡を多用した窓で飾られています
天井画は18世紀のイタリア画家Gasparo Dizianiの作品で、オリンポスを描いているそうです
1837年の大火で冬宮のインテリアは大半が消失したそうですが
ワシリー・スターソフによって18世紀当初の姿に復元されたそうです
最初に入ったのは部屋番号193 元帥の間
シャンデリアや壁や床の装飾も各部屋とも違っていて素晴らしかったです
部屋番号194 ピョートルの間(小玉座の間)
Jacopo Amigoniの描いた「ピョートルとミネルヴァ」の絵が飾られています
手前の椅子はピョートル大帝の姪、アンナ女帝の玉座
壁には銀糸で皇帝のモノグラムが刺繍されたビロード地が張り巡らされています
部屋番号195 紋章の間 かつてはロシアの戦士を表した彫像が置かれ
その手にはロシア帝国各県の紋章が描かれた旗が握られていたそうです
後世、彫像は紛失してしまい、現在は中央にあるブロンズのシャンデリアに
サンクトペテルブルクの紋章がついた盾が残っているだけだそうです
紋章の間の戦士の像
部屋番号197 1812年祖国戦争の画廊
祖国戦争の勝利を記念したホールで勝利に貢献した332人のロシア将軍の肖像画が並んでいます
戦死者の肖像画の場所が13カ所あり、肖像画が見つからなかった為に空けられたまま残されています
ロシア料理ビーフ・ストロガノフの名前に残るストロガノフ伯爵の若い時の肖像画です
ガイドさんの話では若い頃からビーフステーキが大好きだった伯爵ですが
年老いて歯が抜け落ち、大好きなお肉が食べられなくなり嘆いていたそうです
料理人が彼のために食べやすい大きさに切った牛肉を柔らかく煮込み
牛肉の風味を生かした料理を考案したものがビーフ・ストロガノフなのだそうです
部屋番号198 聖ゲオルギーの間(大玉座の間)
歴代皇帝が公式レセプションを行ったホール(総面積800㎡)
天井は金箔された模様で飾られています
二段の採光窓がある広間には大理石の円柱と二列のブロンズ製のシャンデリアが配置されています
玉座の上にはFrancesco del Nero作の聖ゲオルギーの龍退治のレリーフがあります
天井と同じ模様で飾られた床の寄木細工は16種類の木が使われているそうです
ここから小エルミタージュです 部屋番号259 西ギャラリー
中世西欧の装飾工芸美術が飾られています
イタリアの飾り棚
壁にはタペストリーが飾られていました
部屋番号204 パヴィリオンの間
ホールの装飾はルネッサンス様式、古典主義様式、ムーア様式のモチーフが用いられているそうです
イギリスの時計職人James Coxが制作した「孔雀の時計」
エカチェリーナ2世が愛人ポチョムキン公爵から贈られたものだそうです
残念ながら動く時計の姿は見ることが出来ませんでしたので
仕掛け時計の動く映像をYou Tubeで見つけてお借りしました
床には八角形のモザイク画が嵌めこまれています
同じモザイク画で作られたテーブルもありました
他にもモザイク画のテーブルがいくつか展示されていました
部屋の隅にある小部屋も素晴らしかったです
パヴィリオンの間の窓の外には空中庭園もあります
つづく