出雲神楽を見た後、神楽の宿から歩いてすぐの場所にある須我神社へ
須我神社は須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝えられています
古事記、日本書紀に記されている「須賀宮」の事で日本初之宮と言われています
手水舎で手を洗い
随身門を入り
拝殿へ
拝殿と本殿は大社造りで両側には高さ10mの二本の杉のご神木が建っています
お参りをして宮司さんに神社についての説明をして頂きました
御朱印を頂きました
須佐之男命が詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」が
日本初の和歌ということで「和歌発祥の地」の碑があります
皇大神宮撤下御神宝の「梓弓」と
「御櫛筥」と柘植の櫛と紐を特別に拝観させて頂きました
バスに乗り1時間くらい移動して松江市内にある明々庵へ
まず赤山茶道会館で
明々庵についての説明を受けました
掛け軸は京都南禅寺の柴山全慶元管長によるものだそうです
瑞風の乗客の為に作った「瑞宝」というお菓子と薄茶を頂きました
お菓子は松江の菓子司「三英堂」が作ったもので砂糖生地に琥珀羹を挟んでいます
間にある黒いものは京都の大徳寺に伝わる大徳寺納豆です
延段を通って
門のような建物に入ると
飾り雪隠があります
実際には使用されませんがお客がこれを見て亭主の行き届いた心配りに触れるのだそうです
庭にある燈籠 本来は山道や玄関に置かれるものだそうです
明々庵は大名茶人として知られる松江藩主「松平不昧公」の好みによって1779年に建てられた茶室です
厚い茅葺の入母屋造りで、間取りは二畳台目と四畳半の席が組み合わされ水屋、台所も完備しています
松江市殿町の家老有澤家本邸に建てられた明々庵は松江市赤山下、東京原宿、東京四谷と次々と移転を繰り返し
昭和3年に松江市に移築されましたが昭和12年の日中戦争勃発で戦時色が強まり茶道も不急の事とされ
維持管理も困難な時代となり腐朽倒壊寸前まで荒廃したそうです
昭和30年代後半から再興の声が上がり1969年不昧公没後150年の記念事業として現在地に移築されました
右にある棚は武士から刀を取り上げて置いておく刀掛け
不昧公直筆の「明々庵」の額
にじり口から入った所にある二畳台目の茶室の床の間に飾られている不昧公の書いた「明々庵」の文字の掛軸
四畳半の茶室
明々庵から見た松江城の天守閣