玉造温泉を後に宍道湖沿いを神々の国へ向かいました
神門通りを進み出雲大社へ
勢溜(せいだまり)に立つ木製の鳥居をくぐり出雲大社の参道に入ります
この鳥居からがご神域です
振り返ってみると松の並木道の向こうに鉄筋コンクリート製の宇迦橋の大鳥居が見えました
下り参道を進むと
右手に小さな社があります
ここは祓社(はらいのやしろ)といって心身を祓い清める4柱の祓井神(はらいどのかみ)が祀られています
祓橋(はらいのはし)と呼ばれる太鼓橋を渡ると
鉄の鳥居があり参道には二列の松並木が並んでいます
松並木によって参道は三つに分かれていて、真ん中は神様や神職の方や皇族方が通られます
左側の松並木を歩いていきました
松の参道の両側には神苑が広がっています
西の神苑の奥にはかわいいうさぎの像が並んでいます
現在、境内に46羽のうさぎがいるそうです
参道を進んでいくと左手には「御慈愛の御神像」があります
出雲大社の主祭神、大国主大神と因幡の白兎をモチーフにした像です
右手には「ムスビの御神像」があります
国造りをされた大国主大神を幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)が助けられた神話に基づいたもので
海の向こうから光がやってきたという話をモチーフにしています
出雲大社の神域の荒垣正門に立つ銅の鳥居
この碧銅の鳥居は1666年に長州藩三代藩主毛利綱広により寄進されたものです
拝殿
現在の拝殿は1959年に竣工したものです
拝殿にかけられている大注連縄は長さ6.5m、重さ1トンだそうです
拝殿の後ろに回るとあるのが「八足門(やつあしもん)」で一番御本殿に近い場所です
階段の下にある赤い丸が描かれたところは古代の高層神殿の柱が発掘されたところです
御本殿内、大国主大神の御神座は西の方角を向いているということで西側でお参りされてる方もいました
御本殿の後ろに回ってみました
ここが御本殿を一番近くで眺められる場所です
ここにも御本殿に向かってお参りしているうさぎの像がありました
本殿の真後ろにある素鵞社(そがのやしろ)
御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)大国主大神の親神で大国主大神に国造りの大任を授けられました
東端垣から見た天前社、御向社、御本殿
御本殿の高さは24m、古代には現代の4倍の96m、中古には現代の2倍の48mあったと言われています
出雲大社の参拝を終えて、島根県立古代出雲歴史博物館へ向かいました
中に入ると「宇豆柱(うづばしら)」が展示されています
平成12年から13年にかけて出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし
直径3mにもなる巨大な柱が3か所で発見されました
これはそのうちの棟を支える柱「棟持柱(むなもちばしら)」で古くから「宇豆柱」と呼ばれてきたものです
鎌倉時代前半(1248年)に造営された本殿を支えていた柱だと言われています
平安時代の出雲大社本殿の10分の1模型
昭和28年の遷宮の時まで実際に使われていた本殿の千木(Xの形の木)と勝男木(水平に渡されている木)
材質はスギで千木の長さは8m30cm、重さは約500キロ、勝男木の長さは5m45cmだそうです
1984年から85年にかけて荒神谷遺跡から発見された358本の銅剣(国宝です)
1996年に加茂岩倉遺跡で発見された39個の銅鐸(こちらも国宝です)
その他にも神話の世界や古代から現代にいたる島根の人々の暮らしに関する展示があります
最後に向かったのは「稲佐の浜」
天照大神により国譲りの使命を受け建御雷神(たけみかづち)が大国主神と対面した場所です
旧暦の10月10日には出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられています
稲佐の浜にある弁天島は古くは沖御前と言い遥か沖にあったといわれています
昭和60年前後までは島の前まで波が打ち寄せていたそうですが
近年急に砂浜が広がり、島の前まで歩いているようになったそうです
お昼ご飯は「献上そば羽根屋本店」で頂きました
三色割子そば
鴨なんばん
食後、来た時と同じ道を通って家路につきました
途中、道の駅たたらば壱番館で玄米とお味噌を買って、たまごソフトとままたまごぷりんを食べました
松江自動車道、中国自動車道を通り吉和SAで休憩し
美東SAで早めの夕食を食べました
野菜たっぷりちゃんぼん(上)、美東タンメン(左下)、鳥カツちゃんぼん(右下)
自宅に着いたのは20時頃でした
これで10月8日から10日までの山陰のお話はお終いです