くじ改めの続きです
17番目にやってきたのは「菊水鉾」
巡行時の重量10.31トン(人、懸装品含む)山鉾装飾のみの重量7.22トン 山鉾で5番目の重さです
鉾名は町内に古くからあった井戸「菊水井」に因んで名づけられました
屋根は唐破風造りで軒下に翠簾(すいれん)を掲げているのがこの鉾の特徴です
稚児人形は「菊丸」と名づけられています
菊の露を飲み700年の長寿を保ったという能楽の「枕慈道」で能装束の舞姿です
後懸「波上の布袋」2016年新調されたものです
「菊水鉾」のくじ改めと巡行の様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
前懸は「大黒天」2013年新調 胴懸は「毘沙門天と弁天様」2015年新調
18番目にやってきたのは木賊山 重量0.67トン
前懸は金地の綴錦で「唐人交易図刺繍」 胴懸は「飲中八仙図」の綴織
水引は「日輪雲鳳凰文綴錦」
ご神体は謡曲「木賊」に由来し、我が子を人にさらわれ信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁を現しています
腰に蓑をつけ左手に木賊(とくさ)右手に鎌を持っています
桃山時代の仏師の作と言われています
見送は「牡丹鳳凰文綴錦」
「木賊山」のくじ改めと山回しの様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
19番目は「郭巨山」 重量0.69トン
ご神体は郭巨と童子で1789年「金勝亭久右衛門利恭」作で
中国の史話二十四孝の一人「郭巨」釜堀りの故事にちなんで作られました
前懸は「唐美人遊楽図」1785年中国製
乳隠し(胴懸を吊るす飾り板)と日覆い障子があるのはこの山だけです
左胴懸は「石田幽汀」下絵の「呉道士描龍図」の刺繍 1785年作
右胴懸「石田幽汀」下絵の「陳平飼虎図」の刺繍 1785年作
見送は「円山応震」下絵の「山水仙人図」の刺繍 1816年作
「郭巨山」のくじ改めと山回しの様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
20番目は「油天神山」 重量は0.55トン
正面に朱の鳥居を立て社殿にはもと風早家に伝来し後に町内の祠に安置された天神像(1630年製作)を安置しています
前懸は「雲竜文繻子地錦」
胴懸は「前田青頓」原画の「紅白梅図」
水引はパリのクリュニー美術館所蔵のタペストリーを図案に用いた物
見送は「梅原龍三郎」原画の「朝陽図」の綴錦
「油天神山」のくじ改めと山回しの様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
21番目はくじ取らずの「放下鉾」
巡行時の重量10.32トン山鉾装飾のみの重量7.25トン 山鉾で4番目の重さです
天王座に放下僧を祀ることからその名がつきました
鉾には女性は上ることが出来ません
前懸は花文様のトルコ緞通、胴懸は花文様のコーカサス緞通
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より「三光丸」と命名されました
巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞が出来るように作られています
見送は「皆川泰蔵」作「バクダッド」
「放下鉾」巡行の様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
22番目はくじ取らずの「岩戸山」
巡行時の重量8.25トン(人、懸装品含む)山鉾装飾のみの重量5.4トン
山と名づけられていますが鉾と同様に車を付けた曳山です
室町末期に曳山に改造されたものでその名残として鉾柱のかわりに真松を立てています
ご神体は天照大神、手力雄尊、 大屋根に跨っている伊弉諾尊の三体です
前懸は「玉取獅子文」中国緞通
胴懸は「唐草文様」インド緞通 天水引は「緋羅紗地鳳凰丸刺繍」 下水引は「金地鳳凰瑞華彩雲岩波文綴錦」
見送は「日月龍百人唐子遊文綴錦」
「岩戸山」巡行の様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
23番目はくじ取らずの「船鉾」 前祭のトリを務めています
巡行時の重量8.41トン(人、懸装品含む)山鉾装飾のみの重量5.99トン
神功皇后をめぐる説話により鉾全体を船の型にしています
船首には中国の想像上の水鳥である金色の「鷁(げき)」が飾られています
ご神体は神功皇后と彼女の従者を務める磯良、住吉、鹿島の3人の神様です
艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文の舵が取り付けられています
下水引は「金地雲龍文厚肉入刺繍」
見送は「綴錦龍に青海波」
「船鉾」の巡行の様子を動画でどうぞ *注意*音が出ます
全部の山鉾がくじ改め場を通り過ぎるまで2時間かかりました
いただきもの
「MonMonだモン!!+」のRaeさんから頂きました
とっても素敵な物をありがとうございました