7月17日、山鉾巡行の朝です
台風の影響で少し風はありましたが雨は降っていませんでした
ホテル近くの「保昌山」の会所に行ってみると山の飾りつけが行われていました
胴懸 張騫巨霊人に鳳凰虎を配した刺繍
御神体も濡れないように念入りに梱包されていました
前懸 緋羅紗地に蘇武牧羊図
見送は福禄寿、弁財天に唐子を配した綴錦(1798年作)
飾りつけが終わった「長刀鉾」
見送 雲龍波濤文様綴織(平成17年復元新調されたもの)
「函谷鉾」の前では曳手さん達が記念写真を撮っていました
山伏山も飾りつけ中でした
飾りつけが終わった「占出山」
見送は花鳥龍文様の綴錦 近年復元新調されたものだそうです
「孟宗山」
見送は以前使われていた雲龍文様の綴錦が飾られていました
9時少し前、山鉾の巡行が始まりました
毎年「くじ取らず」として必ず巡行の先頭を行く長刀鉾が動き出しました
鉾の後ろをついていけば、いろいろな儀式も見れたのですが、雨が降り出したので観覧席へ移動することにしました
雨の為に巡行にも遅れが出て、御池通に来た頃には20分以上予定よりも遅くなっていました
パトカーに先導されて「長刀鉾」がやってきました
長刀鉾は鉾先に疫病邪悪をはらうという大長刀をつけています
まだ雨もあまり降っていないので曳手の方々も元気そうでした
車輪に人が近づいて行ったと思ったら
ヘラの大きいものを車輪に差し込んで方向を変えていました
長刀鉾の巡行を動画でもどうぞ *注意*音が出ます
2番目にやってきたのは「孟宗山」 「筍山」とも言われるそうです
中国の史話「二十四孝」の一人である孟宗が病気の母の好物である筍を
雪の中探し回りついに掘り当てて母を喜ばせた逸話を題材とした山です
胴懸は晴れていれば平山郁夫の「らくだ行」だそうです
3番目に来たのは「芦刈山」
貧しさのために夫婦は離別し、妻は都へ出て宮仕えをするが、別れた夫が気がかりになって探したところ
夫は落ちぶれて芦を売っていたという謡曲「芦刈」を題材とした山
胴懸は豊公獅噛鳥獣文様錦織
見送は山口華楊原画「鶴図」
4番目は「伯牙山」 「琴破山」とも言われるそうです
中国、周の時代、琴の名人伯牙が自分の琴を理解してくれた鐘子期の死を聞いて
琴の弦を断ったという故事を題材にした山だそうです
前懸は中国明代の作で上下詩文、中央に人物風景の「慶寿裂」
胴懸は花卉 尾長鳥文様の綴錦 見送は京都西陣「柳絲軒」製の仙人図刺繍
5番目に来たのは「函谷鉾」
鉾の名前は中国戦国時代斉の孟嘗君が秦の国を逃れ函谷関に着いたが、
この関は早朝の鶏の鳴き声で開く規定なので家来に鳴き声をまねさせたところ
本物の鶏が和して鳴いたため、門が開き見事通り抜けたという故事によるそうです
前日に会所で見た重要文化財の前懸は飾られていませんでした
函谷鉾の巡行を動画でどうぞ *注意*音が出ます
6番目は「油天神山」
古くから町内の風早家に祀られていた天神を勧進してつくられた山で
油小路通にあることから名前がつけられたそうです
残念ながら真木の松だけで山は黒い幕に覆われていました
7番目は「四条傘鉾」
織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで
応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松が飾られています
垂りは「鈴鹿雄次郎」製作の「麗光鳳舞之図」
8番目は「占出山」 「鮎釣山」とも言うそうです
神功皇后が外征に際し、肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという日本書紀の話を題材にした山
水引は三十六歌仙図の刺繍2007年から2012年に新調されたもの
前懸、胴懸は日本三景の綴錦で1831年の制作
9番目は「月鉾」
鉾頭に新月型(みかづき)をつけているのでこの名で呼ばれています
月鉾は山鉾32基の中でも最も大きく重い鉾だそうです
月鉾が来た12時前頃から雨脚が強くなりました
音頭取(お囃子と車の操作の上に立つ指揮者2人)も雨に濡れて大変そうでした
月鉾の巡行を動画でどうぞ *注意* 音が出ます
10番目は「蟷螂山」
中国の故事「蟷螂の斧を以て降車の隊を禦がんと欲す」を題材にした山
御所車は載っていましたが、その上に乗っているはずの蟷螂はいませんでした
11番目は「木賊山」
世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした山
山を曳いている人達がとっても楽しそうでした
胴懸は中国故事人物図の綴織 見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦
こんな可愛い子も裃姿で歩いてました
12番目は「山伏山」
山に飾る御神体が山伏の姿をしているのでこう呼ばれています
前懸は雲龍文様の刺繍 胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦
これでやっと半分です 残りは次回