次に向かったのはサウスデリーにあるフマーユーン廟
公園の中を通ると見えてきたのはマトゥラ・ロードのロータリー交差点にあるサブズ・ブルジ廟
公園の中には1547年に建てられたイサ・カーン廟があります
イサ・カーンはスール朝のシェール・シャー(在位1539-1545)の宮廷に仕えた貴族だそうです
レンガの壁はかつてあったアラブ人達の為のレストハウス「アラブ・サライ」の跡
門を入るとフマーユーン廟の門が見えてきました
道の左側を見るとアラブ・サライへと続く門がありました
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高さ5.8mの西門を通り抜けると
ムガール帝国第2代皇帝フマーユーンの霊廟が見えてきました
フマーユーン死後の1565年ペルシア出身の妃ハミーダ・バーガー・ベーガムが建設を指示し
ペルシア出身の建築家サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギャートゥッディーンと
その父ミラーク・ギャートゥッディーンにより9年の歳月をかけて造られた霊廟です
ペルシアとインドの建築様式が融合したムガール帝国の廟建築の原型だと言われています
1993年に世界遺産に登録されました
霊廟は上下の二層構造で東西南北の四面それぞれは同じファサードを持っています
ファサードは赤色の砂岩に白い大理石を組み合わせた幾何学的な文様で飾られています
こんな階段を上って上層に登ります
霊廟に入ってみました
玄室の中央にはフマーユーンの白大理石の石棺が置かれています
これは仮のお墓(模棺)で実際の遺体を納めた棺はこの棺の直下に置かれているそうです
玄室の天井
玄室の壁
墓廟には王妃ベーガム、王子ダーラー・シコー、重きをなした宮廷人達など
すべて合わせると150人もの死者が埋葬されているそうです
宮廷人達の棺についてはそれぞれの石棺がどのように配置されているかはわからないそうです
こちらは王妃と王子の墓だと言われています
この部屋の壁はこんな感じです
次に向かったのはインド門
第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士約8万5千人を追悼するために1929年に建てられました
パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェルにより設計された門型のモニュメントで
高さ42mのアーチにはインド兵士の名前が刻まれているそうです
東西に伸びるラージパト通りにより西端の大統領官邸と結ばれているそうです
インド門の周りにはスナックの屋台がたくさん出ていました こちらはパニ・プリの屋台
こちらはベル・プーリーかな・・・
お昼ご飯はホテルメトロポリタンホテルの中にあるレストランさくらで頂きました
インドで本格的な日本料理が食べられると評判のお店だそうです
写真ありませんがご飯とお味噌汁もついてました デザートは抹茶アイス
飛行機の出発時間までホテルに戻って休憩しました
ホテルに戻る途中、ガンディーの「塩の行進」のモニュメントがありました
「塩の行進」とは1930年にマハトマ・ガンディーと彼の支持者がイギリス植民地政府の塩の専売に反対し、
製塩の為にグジャラート州アフダーバードから同州南部のダーンディー海岸まで380kmを行進した抗議行動の事です
この行進は3月12日から4月6日まで続きインド独立運動の転換点となったそうです
ホテルへ向かう途中見かけたスラム
17時頃ホテルを出発して空港へ向かいました
出発までラウンジでインドのスナックやケーキなどを食べながらのんびり過ごしました
21:15発AI0306便で帰国の途へ
離陸後1時間半くらいで機内食が出てきました 海老の中華風
鶏肉をヨーグルトとスパイスで調理したもの
カレー もう1種類違うタイプのカレーもありました
食後グッスリ眠っていたみたいで6時頃に朝食ですと起こされるまで気がつきませんでした
朝食はフルーツとマフィン、クロワッサンなど
飛行時間7時間半、8時頃成田に到着しました
これで2013年3月のインド旅行のお話はお終いです
インドへ行く前は体調が悪くなったらどうしよう?と心配していましたが、みんな元気で帰国しました
母はもう2度と行きたくないと言ってますが、私はいつか機会があれば再訪してみたいと思いました
長い間お付き合いいただきましてありがとうございましたm(__)m
次回からは2013年8月、従弟一家と行ったハワイのお話です