お部屋から見えたこのモニュメントが気になって朝食前にお散歩に行きました
ヤントラ川を渡ります
アセン王のモニュメント
第二次ブルガリア帝国(1187年から1393年)の王朝を称えるもので寄付金で造られたものだそうです
4人の王はイヴァン・アセン1世(在位1187~1196)ペタル4世(在位1185~1197)
カロヤン(在位1197~1207)イヴァン・アセン2世(在位1218~1241)だそうです
12世紀後半のブルガリアには重税が課せられ、住民の不満が高まっていました
アセンとペタルの兄弟が反乱を組織し、1185年ヴェリコ・タルノヴォでブルガリアの独立を宣言しました
カロヤンはイヴァンとペタルの弟でブルガリア皇帝の権力と帝国の地位を向上させました
イヴァン・アセン2世は帝国の全盛期を築き上げた王だそうです
(4人の王の写真は朝食後にもう一度訪れた時のものです どれがどの王かはわかりませんでした)
朝食はとても綺麗に並べられていました
ブルガリアの朝食には必ずキュウリとトマトが出ていました
フレンチトースト、目玉焼き、ソーセージ
スイカとメロン
バスに乗って5分Царевец(ツァレヴェツ)に向かいました
ツァレヴェツは第二次ブルガリア時代に要塞があった所です
ツアレヴェツの丘には紀元前3000年頃から人間が住んでいた跡があるそうです
ライオンの像がある所がかつてのメインエントランスだそうです
(写真は行きと帰りに撮ったものが入り交じっています)
要塞を復元した絵(右側の丘はツァレヴェツ、左側の丘はトラペジッツア)
トラペジッツアの丘は貴族の屋敷があった所だそうで城壁が復元されていました
エントランス付近から見た街
第二の門、第三の門と城壁、総主教教会が見えます
城壁の長さは1100m、高さは10m以上あるそうです
第三の門をくぐった所で
城の歴史を各国の言葉で説明してくれる人形達がいました(日本語もありました)
要塞には宮殿や23の教会、4つの修道院、470以上の民家、旅館、貴族の豪邸があったそうです
真ん中に見える馬は作り物で当時の衣装を着て跨って記念撮影ができるそうです
壁に貼ってあるのは宮殿の復元図や同じ造りで造られたブルガリアにある建物の写真です
少し上った所で振り返ってみました この辺りは綺麗に復元されていました
この辺りは住居跡だそうです
復元された城壁に沿って歩きました
上3枚は歩いてきた道を振り返って撮った写真です
所々にあるライトは「音と光」というショーに使われるものです
数百個の有色照明、音楽、鐘の音、レーザー光線などを駆使しブルガリア史の代表的な場面を表現するそうです
ライオンの像から20分歩いた頃、要塞の最北部に到着しました
「処刑の岩」と呼ばれるヤントラ川に突き出た岩があります
11世紀から14世紀の間、反逆罪を犯した死刑囚の投身刑が実行されてきたそうです
16世紀にはこの場所に修道院が建立されたそうです
こんな感じの修道院だったそうです 修道院の後ろにあるのが「処刑の岩」です
現在は床が残っているだけでした
崖の端に行って下を覗いてみると
1185年にアセンとペタルが反乱を起こしたというСвети Димитър Солунски(聖ディミタル教会)が見えました
現在の教会は1985年に修復されたものだそうです