ブルガリアで4番目に長い川マリツァ川を渡りプロヴディフの市内観光に出かけました
プロヴディフは6千年の歴史を有する都市で紀元前4千年ごろの住居跡が見つかっているそうです
紀元前2千年頃にはトラキア人の集落が造られ「エウモルピアス」と呼ばれていました
交通の要衝に位置していたことから商業が栄え、紀元前342年から341年にかけて
古代マケドニア王ピリッポス2世がこの地域を征服した後「フィリポポリス」と改められました
後にトラキア語に訳した「プルプ=デヴァ」も用いられるようになりました
その後、ローマ人がこの地を手にすると3つの丘を意味する「トリモンティウム」と改められました
現在のプロヴディフという呼称は以前のトラキア語呼称をプルガリア語化したものだそうです
プロヴディフは7つの丘の上に築かれそこから発展してきました
20世紀初頭までは7つの丘が存在していましたが、
街の建造の為に1つの丘が取り壊され、現在は6つの丘が残っています
写真の右上の塔はカトリック教会の聖ルイ大聖堂
市内にはローマ遺跡がたくさん残っています 中央広場にある公開会議場跡(右にある建物は郵便局)
道を挟んだ場所にはフォーラム(公共広場)にあった建物の跡があります
この辺りは古代都市の中心部だった場所だそうです
客席数300から350の音楽堂もあり現在もイベントで使用されています
遺跡を通り過ぎた広場にある姉妹都市までの距離を表した標識
岡山市とは1972年に姉妹都市になったそうです
郵便局の西側にある広場
歩行者天国になっている街のメインストリート アレキサンダー1世通り
19世紀の建物が多く残っています
こちらの建物の向かい側は
噴水のある広場があります ここは市民の憩いの場になっているそうです
広場にある市役所
建物の中には修復されずに壊れかけているものもありました
通りの途中にはこんな銅像もありました
通りは幅も広く、休憩できるようにベンチもたくさん置かれていました
ジュマヤ広場に出ました ミナレットがあるのは14世紀に建てられたジュマヤ・ジャーミヤ
広場の下には2世紀に建造されたローマ競技場の跡がありました
上から覗くと13列の客席が見えました
下に降りると競技場への入口も見えました
競技場の大部分はメインストリートや周りの建物の地下に眠っているままだそうです
モスクの前にはバラが植えられていて甘い香りが漂っていました
モスクの壁にあった日時計
モスクの前を通り旧市街へ向かいました
坂を登って行くとКатедрален храм „Свето Успение Богородично“(生神女聖堂)が見えてきました
1884年に建てられた教会です
メインストリートにあったのと同じ作者(?)の像
19世紀に設立されたプロヴディフ・アート・ギャラリー
4つの建物に5000を超える芸術作品を保有しているそうです
1981年にブルガリア建国1300年を祝してメキシコの画家たちから作品が寄贈されたそうです
旧市街は坂が多く石畳なので歩くのが大変でした 左の建物は1860年に建てられたスコベレフ邸
2003年にブルガリアの画家Георги Божилов(1935年生2001年没)の作品が常設展示されています
スコベレフ邸の壁にもモザイクで作った日時計がありました
1872年に建てられたアンドロフ医師の家 1981年に薬局博物館になったそうです
ブルガリアの画家ズラテュ・ボヤジエフ(Златьо Бояджиев1903年生1976年没)のギャラリー
古い建物を使ったお土産屋さんもありました
旧市街は猫ちゃんも多かったです